すずめがさえずる爽やかな朝。 チカは布団の中ですやすやと寝息を立てていた。 すやすや。すやすや。……すやすや? 「学校!」 布団を跳ね除けて枕もとの目覚まし時計を掴み、そこでぴたりと動きを止めた。 あれ、今日、日曜日じゃね? 「……なーんだ」 チカは目覚ましを放り投げて、再び布団という安寧の地へ舞い戻る。 目はすっかり覚めてしまったが、関係ない。 こうしてぬくぬくを楽しめればいいのだ。 布団の中は、それだけでパラダイス。 チカは頭まで布団をかぶり、ほわほわしながら丸くなった。 しかし、そんなチカの楽しみを邪魔する者が現れた。 ぴんぽーん、と間延びしたインターホンの音。 チカはぴくりと布団の中で震え、数秒黙考。布団をかぶりなおした。 ぴんぽーん。インターホンは再び鳴る。 チカは布団の中で目を閉じた。 ぴんぽーん。 無視。 ぴんぽーん。 無視。 ぴんぴんぴんぽーん。 若干インターホンに苛立ちが混ざってきたが、さらに無視。 ………。 沈黙が続く。ふう、やっと行ったか、とチカが安堵の息をついた瞬間。 「チカぁ! 出て来いこの慢性眠り病患者がぁ!!」 聞き慣れた声が怒りを込めてチカをたたき起こした。
にきょくめ
田舎のはずれに、屋敷と呼べるような大きな家が、陽光を浴びて佇んでいた。 屋敷にはよく手入れされた庭があり、少し離れた場所に石造りの蔵がある。 門構えも立派で、知らないひとが見れば、よほどの金持ちが住んでいるのだろう、と思うことはわかりきっていた。 そんな大層な家の、10人は入れるだろう居間に、チカはおじさんと向かい合っていた。 正座させられて。 「まったく、居留守使ってまで朝寝するなと何度言ったらわかる」 健全な生活が健全な精神を作るのだ、とか、早起きしてラジオ体操でもしたらどうだ、とか、くどくどと説教が続き、かれこれ30分。 おじさんはようやく口を閉じると、お茶を一口啜る。 「おまえはもうちょっと若者らしくしたほうがいいぞ」 「(乾布摩擦を勧めた口でそれを言うのか……)」 「……まあ、説教はこのへんにしておくか」 今日はべつの用事があるしな、とおじさんは後ろを見やった。 チカはほっと息を吐いて、そちらを見る。 おじさんが座っているその後ろには、例のヒューマノイドの少女が横たわっていた。 「今日はこの子を届けに来たんだ」 「ああ……え?」 「ん?」 チカはけっしてこのヒューマノイドを自分のものにしようとして拾ったわけではない。 あくまで精神衛生上の問題だ。 なので、べつにこのヒューマノイドが修理後にどこへ行こうがかまわないのである。それこそ、処分されたっていいという思いでおじさんのところへ連れて行ったわけであるから。 そのことはおじさんも了解済みのこととすっかり思い込んでいたので、これは不意打ちだった。 「あ、あれ? わたし、引き取るって言いましたっけ」 「いや、言ってないが……当然だろ?」 「えっ……」 「……まさかおまえ、拾っておいてハイサヨウナラって言うつもりだったのか?」 「う……」 「……最低だなおまえ。捨てられていたものを拾ったらそれは拾い主の責任だろう。最後までちゃんと面倒を見てやるのが義務ってもんじゃないのか」 「そんな犬猫を拾ったような言い方されても」 「犬猫じゃなければ途中で投げ出してもいいのか!」 「(えー? なんでわたし怒られてるの?)」 おじさんは戸惑っているチカを見て、重々しくため息をついた。 「もう少し説教が必よ「わあい、修理が終わるの楽しみにしてたんだー」 子どもだって処世術は心得ている。 おじさんはそのヒューマノイドの起動に必要なディスクとそのディスクの起動に必要なパソコン(蛇足だがデスクトップだ)を設定し終えると、いよいよ起動に取り掛かった。 機械音痴に定評のあるチカは、おじさんがパソコンを自分の部屋に設置するのをぼーっと見学していた。 「あれ、そういえばそのパソコン、どうしたんですか?」 「ああ、友だちがいらなくなったって言ってたから、もらってきた」 「……動くんですか?」 「動くぞ。あいつは新しいもの好きだから、新製品が出るとすぐ買い換えるんだ。これも去年のものだから、充分使える。……立ち上げるぞ」 「(立つ……二足歩行?)」 チカの頭の中で足を生やしたパソコンが野山を駆け回っているころ、パソコン画面はOSのロゴのあと、デスクトップを映した。 「……」 「……」 「……おじさん」 「なにも言うな」 きれいなモニターに映る、かわいい女の子。それは、今、子どもたちのあいだで大人気の美少女バトルアニメの主人公だった。 きわどい衣装にきわどいポーズ。 二人はすぐさま記憶から抹消した。 ひとにはときとして、忘却が必要なときもある。 気を取り直して(壁紙はもちろん削除し、デフォルトに替えた)ディスクを取り出す。 パソコンに取り込むと、忙しない作動音がしばらく続いた。 インストール画面が映る。 「よし、じゃあ始めるぞ」 「あ、はい」 さっぱりわからないチカは適当に頷いた。 それからまたしばらく、チカのよくわからない作業が続く。 数分が過ぎたころ、チカがそれまで聞いたことのないような独特の音がひとつ、パソコンからこぼれた。 おじさんがチカの隣に横になっている、ヒューマノイドを振り返る。 「起きるぞ」 「えっ」 なぜかどきっとしてヒューマノイドの少女を見た。 黒っぽい服に身を包んだ少女。沈黙の塊のように横たわっていた彼女の長いまつげが、ふいに震えた。 チカの心臓が跳ねる。 ゆっくりと、少女の瞼が持ち上がっていく。 「―――起動、確認しました」 それは、声だった。 機械で作られたなんてとても思えない。 それはたしかに、声だった。 彼女は横たえていた身体を起こすと、チカとおじさんを順に見た。 そしてその瞳は、チカのほうで止まる。 「……おはようございます、マスター」 「えっ……わたし?」 突然の呼び名にチカは困惑のままおじさんを見る。 視線を受けて、おじさんはさっと肩をすくめた。 「マスターはおまえで登録したんだから、おまえがマスターに決まってるだろ」 「う、うん……」 チカは頭を掻くと、固まったように動かない彼女へ向き直った。 「えぇと……わたしはチカ。萩野チカ。あなたの名前は?」 彼女は目を丸くした。 子どものような透きとおった目が、未知のものを見るようにチカを見つめる。 チカはなにか悪いことを言ったのかと心配になったが、おじさんはほほえんでいるだけでなにも言わない。 やがて彼女は、なぜか戸惑いがちに口を開いた。 「初音ミクです、……マスター」 その声は、どこか泣いているように聞こえた。 |