巴里の街に花が舞う。 闇に覆われていた空に光が射し込み、破壊されつくした街は一瞬にしてよみがえった。 それだけで、わかった。 (勝ったんだ) 喜びに沸く同僚たちに囲まれる花組を、すこし離れた場所で眺めながら、わたしは奇妙な虚脱感を感じていた。 壁に背を預け、班長に頭をぐりぐりと撫でられている隊長を見つめる。それを笑いながら見ている少女たちを―――その輪の中に、たしかにいる、ロベリアさんを。 わたしは黙って、見つめ続ける。 「……」 ふいの声に顔を上げると、いつのまにかグラン・マがわたしの傍にいた。 あわてて、力が入らない身体を立て直す。 「ああ、そのままでいいよ」 「……、あ、はい」 「ずいぶん脱力してるねぇ」 可笑しそうに言うグラン・マの目じりに光るものは丁寧に見ないふりをして、「そうですか」と短く返す。 我ながら素っ気ない返事に、グラン・マは気を悪くした様子もなく頷いた。 「安心したかい?」 「……それはまあ。全員、無事です…し…」 ―――口に、して。 初めてそこで、実感が沸いた。 (無事) そう。無事、なのだ。 戦いにおもむいた花組は、だれひとり欠けずに戻ってきた。 まさしく死地での決戦を、彼らはなにも犠牲にせず勝利した。 (だれも死んでない) だれも亡くしてない。 「―――…、あ、」 視界に水の膜が張る。わたしははっとしてグラン・マから顔を背けた。 きつく唇を噛んで、今にも決壊しそうになるそれを押さえ込む。 そんなわたしの髪に、グラン・マが触れた。 「いいんだよ。喜びの涙は隠すもんじゃない」 「ッ、ふ…!」 ひとつこぼれるともうだめだった。 次から次へとあふれ出し、涙はわたしの頬を濡らす。 うつむいて、せめてもと声だけは噛み殺した。 滲む視界の端に、笑い合うあのひとの姿が映る。 (生きてる、) ふいに膝から力が抜けて、わたしはその場にくず折れた。そのまま、膝を抱えて顔をうずめる。 歓声が聞こえる。笑っている。手を叩いている。花の香りがする。光が射している。生きている。生きている。生きている。みんな、あのひとも、 (いきて、いる…) グラン・マはただ黙って、わたしの頭を撫でてくれて。 そのぬくもりに甘えながら、わたしは言葉もなく、ひたすら泣き続けていた。 ≪お元気ですか。≫ その手紙はそんな出だしだった。 あれから、わたしたちは街の復興に取り掛かった。 ぼろぼろになった巴里の街を、ひとの声が行き交う。 彼らのそれは一様に明るく、絶望なんてかけらもないことをわたしに伝える。 ああ、そういえば、帝都も同じだった。―――そんな様子を見て、ふいに思い出す。戦いを終えた東京の様を。 あそこに住むひとたちだって、たくさんのものを失っただろうに。それでも笑って立ち上がり、手を取り合って街を元通りにしようと働いた。 いまさら思う。彼らはわたしなんかと比べ物にならないほど、強かったと。 街の一角にあるアパルトメントのわたしの部屋も散々な状態だった。 窓は割れ、少ない荷物は散乱し、部屋の隅に置いてあった仕事机もあの混乱の衝撃で床に横倒しになっていた。 そして、その拍子に開いてしまったのだろう引き出しから、書類とともに一通の手紙がこぼれていた。 開くことに、ふしぎと抵抗はなかった。 絶対に読むことはないだろうと思っていたあのときと比べて、いったいなにが変わったのかはわからないけれど。 とにかくわたしは、その手紙の封をごく自然に切っていた。 ≪あなたがいなくなってから、帝都の劇場はとても寂しくなりました。≫ 達筆な文字がつづるのは、わたしがいなくなってからのこと。 唐突なわたしの転勤≠ノ、花組はさまざまな反応をしてくれたらしい。 アイリスは泣きわめいて、紅蘭も落ち込んで、カンナさんはとても腹を立てたらしい。 マリアさんは仲間たちをなだめながらも、自分も納得できなかったのか、カンナさんをはじめ、花組のほかのメンバーと一緒になって、隊長に「なぜ言ってくれなかったのか」と詰め寄ったという。 じつは隊長にも内緒で発ったのだけど。彼には悪いことをした。 意外にも平然としていたのはすみれさんだったようだ。 カンナさんのように怒ることもなく、最後には隊長を困らせる仲間たちを一喝したらしい。 ≪「さんはいずれここへ戻ってきますわ」と、すみれさんのその言葉で、私たちは気持ちを収めることができました。すみれさんはそれ以上なにも言わなかったけれど、たぶん、私たちのだれよりも、さんを信じているのだと思います。≫ そしてそれは、いまの私たち全員の気持ちです。―――意志のこもった文字が言った。 を信じていると。 彼女たちの、輝く瞳を思い出す。 笑っていた。怒っていた。泣いていた。慰めあったり励ましあったり、ときにはケンカをして。 わたしは彼女たちにやさしくした。それと同じくらい、やさしくされた。 あたたかい輪の中で、わたしは、―――生きていた。 あのひとと一緒に。 やわらかな記憶があった。 喪失の痛みの、さらにその向こう側に。 やっと気づいた。 わたしは苦痛から逃れたいあまりに、手放してはならないものを、手放そうとしていたのだ。 (喪ってしまう、くらいなら…) 手に入らないままでいいなんて。 あのひとだって呆れてしまうくらい、みっともない言い訳だった。 |