ロベリア・カルリーニが怖くないのか、と聞かれることがある。答えは決まってノン。わたしは彼女を恐れたことは一度もないし、その必要も感じない。 彼女の精神は、ノラ猫のそれと同じだ。 何者にも媚びず、何者をも省みない。行く道を阻む者には容赦しないが、それ以外には無関心。見境なくひとを傷つけるようなひとではない。 彼女の邪魔さえしなければ、こちらに害はない。ある意味、笑顔の裏に悪意を隠すひとたちよりよっぽどわかりやすく、付き合いやすいひとだ。 まあ、隊長さんみたいなひとには理解しづらいかもしれないけど。 でもあの隊長さんのことだ。いつもの横暴なまでの引力で、彼女さえ惹きつけてしまうかもしれない。実際、最近よく一緒にいるところを見かける。 彼は、怖い。その力は強大で、他人をたやすく変えてしまう。高潔な精神とゆるぎない信念に裏打ちされた言葉と行動は、いままで何人ものひとたちを変革し、救ってきた。 彼によって変えられなかったひとなんて―――、 (……ああ、ひとりだけ、いるか) 寒気のするようなきれいな満月。黒と紅が彩る夜だった。 まぶたの裏によみがえった光景に、わたしは唇を噛んだ。 「―――」 「え」 声がして、意識が現実へと戻ってくる。目の前に氷の瞳が迫っていて、わたしはあわてて身を引いた。 「ロ、ロベリアさん?」 「なんだよ、その反応。さっきから呼んでんのに返事もしないで。なにぼーっとしてたんだ?」 「あ、いえ…ちょっと。それより、なにか?」 「なにか、じゃねーよ。さっきからあの男がうるさいんだ。なんとかしろよ」 「あの男?」 怪訝に首をかしげたわたしの耳に、ノックと隊長さんの声が届いた。 「くん? いるんだろう? 開けてくれ」 「あ、隊長さん…いま開けます」 急いで玄関へ駆け寄り、鍵を開ける。 隊長さんがひとのよさそうな笑顔を浮かべて、そこに立っていた。 「よかった。反応はないけどひとの気配がしてさ。あれ、ロベリアは? 声がしたと思ったんだけど…」 隊長さんの言葉に振り向くと、さっきまでそこにいたはずのロベリアさんが、忽然と姿を消していた。理由はわからなくもない。 わたしは目をしばたたかせる隊長さんを部屋に入れて、お茶を用意した。 「あ、おかまいなく。仕事中だったのかい? お邪魔したね」 「いえ、ちょうど休憩しようと思っていたところでしたから」 「そうか、それはよかった。……ところで、ロベリアがここにいたんじゃないか?」 「ええ、ついさっきまで」 「へぇ。彼女はいつもここに?」 「最近はほぼ毎日ですけど…これからはどうでしょうね」 「どうしてだい?」 「隊長さんにここに入り浸ってることばれたから。また新しい隠れ家を見つけるんじゃないですか」 「……はあ」 隊長さんはなんともいえない顔をした。 「おれは彼女に嫌われているのかなぁ」 「どうしてですか?」 「なんだか妙に突っかかられるし、わざと困らせるようなことを言われたり…」 「…さあ。でも、ロベリアさんなら、嫌いな相手はさっさと排除するか適当にかわすかだと思いますよ?」 「そうか…。くんはロベリアと仲がいいんだな」 「…どうでしょう。彼女にとっては、ちょうどいい寝床とその家主くらいにしか思ってないと思いますよ」 「ははは」 わたしは手元の紅茶に砂糖を入れてかき混ぜた。 「それで、今日はなんのご用ですか?」 「ああ、そうそう。これなんだけど」 「…手紙?」 隊長さんから差し出されたのは、一通の手紙だった。かわいらしい桃色の封筒。差出人は―――帝国歌劇団。 「彼女たちから、きみ宛に。おれの分はべつにあってね。これを、きみに渡してくれって」 「………」 「くん」 わたしは手紙を、封を切らずにそのままテーブルに置いた。隊長さんのとがめるような声に、薄く笑う。 住所を教えなかった。それどころか、巴里に行くとも告げず出て行ったわたしを、こうして気遣う彼女たちは、あまりにもやさしい。 やさしすぎて、こころが、痛い。 「…新しい仲間が、増えたよ」 「聞きました。欧州星組の…」 「レニと織姫くんだ。どちらもとてもきれいで、強いんだ。レニは頭がよくてね、知識が豊富で、歩く百科事典、なんてカンナが言っていたよ。織姫くんはピアノが上手で、一度聞かせてもらったことがあるんだが―――」 隊長さんはひとしきり、ふたりの少女の話をすると、ほほえんだまま言った。 「…一度、帰ってみないか?」 |