ジュエルシードがなのはの持つ杖先に吸い込まれていく。 魔法の光が徐々に収まり、完全に消えると、辺りはすっかり夜の静けさを取り戻していた。 「…終わったよ」 なのはの声で、とおじさんは同時に肩の力を抜く。 なのはの肩に乗っていたフェレットが、軽い身のこなしで床へ降り立った。 「あの、それじゃあ…とりあえず、なにからお話しましょうか」 「…その前に、場所を移動しようか」
第4話 つないだ手のひら(5)
学校を出て少し歩いたところにある小さな公園のベンチで、たちは互いのことを話し合った。 が霊能力者であるという事実はなのはたちを大いに驚かせたが、自分たちも似たようなものだと気づいて苦笑した。 「魔法に異世界に、ロストロギア、ねえ」 『ファンタジーここに極まれり、やな』 なのはの膝の上に乗っているこのフェレット―――ユーノ・スクライアは、異世界の考古学者で、彼が発掘した古代遺失物、ロストロギアであるジュエルシードが、輸送中に事故でこの世界にばら撒かれたのが、そもそもの発端だったらしい。 幼い責任感からそれを単独で追ったユーノは、途中でジュエルシードの暴走体を前に力尽き、そこへ偶然ユーノの呼びかけを聞いたなのはが、彼を助け、そのさなかに暴走体と遭遇、そして魔法の力を手に入れた。 事情を知ったなのはは、持ち前の正義感を発揮して、ユーノの手伝いを申し出て、現在に至るというわけだ。 「質問、いい?」 「ええ、どうぞ」 「スクライアくんの「あ、ユーノと呼んでください。スクライアは部族名なので」…じゃあ、ユーノ。ユーノの世界には、そういった問題のエキスパートみたいなのはいないのかな? …簡単に言えば、警察組織みたいな」 「はい、あります。時空管理局といって、次元世界の平和の維持を目的とした組織です」 「…どうしてその時空管理局に任せなかったの?」 「え…」 「自分で言ったよね。ジュエルシードは危険な力を持っているって。わかっていてどうしてひとりで解決しようと? 素人のなのはに封印できたようなものに負けるくらいなのに」 「それは…なのはの魔力はとても強くて」 「素質がいくらあっても、素人は素人でしょ。それも、まだ8歳だ」 「ちゃん、わたしはべつに、「なのはがどう思ってるかはこの際関係ない。問題なのは、公的機関があるのにそれに任せず自分ひとりでどうにかしようとした―――ユーノのその無謀さだ」 そこで一息ついて、は続けた。 「へたを打てばこの世界の存亡に関わるような話を、どうして単独で解決しようなんて思った? 結果きみはその無謀さで、自分だけでなくなのは―――現地の人間をも危険に巻き込んだ」 「……」 「今までがどうかは知らない。でも、今回でわかったでしょ。どんな悪い偶然が重なるかもわからない。ああいったモノが今後出ないとは限らない。…犠牲者ゼロなんて幸運が、いつまでも続くわけがないんだ。わかるよね?」 「……はい」「だったら、「でもぼくは!」 ユーノは顔を上げた。つぶらな瞳に必死な光を灯して、に訴えかける。 「責任を取りたいんです! これはぼくが招いたことだから、だから!」 「ッ、その責任の取り方が! 間違っているんだとなんでわからない!!!」 「っ!?」「ちゃん?」 突如激昂したに、ユーノとなのはは身をすくませる。 は青くきらめく黒の双眸をゆがめ、怒りに拳を震わせた。 「ユーノ。きみの無謀な決断が、一般人にしなくていい苦労を背負わせ、つかなくていい嘘をつかせ、感じなくていいはずの痛みをもたらした! もしも私があそこにいなかったら? もしもおじさんが一緒にいなかったら? きみもなのはもあの空間に取り込まれたまま、もしかしたらあの幽霊に殺されていたかもしれないんだよ!!」 なのはは思わず、ハンカチが巻かれたの腕に目をやった。 街灯に照らされたそれはの血で黒いシミを作っている。 ユーノもそのことに気づいたのか、力なくうなだれた。 「ここは、魔法があって当たり前のきみの世界とは違う。魔法は非日常であって本来ならないはずのものなんだ。非日常っていうのはただそれだけで危険なんだ! 知らなくていいはずのことを知ってしまったら、その分だけ傷つくんだよ!!」 『…』 「きみはそれを―――」 『、もうやめてあげ』 「………!」 『落ち着け。この子らももうようわかってる』 はいまだ覚めやらない興奮に唇を噛んだ。 ■んでしまうと思った。あのとき、あの少女の敵意がなのはに向いたとき。なのはが■されてしまうと。 あのときの自分はどんな顔をしていただろう。きっと凍りついたような冷たいものだったと思う。 ただこれを消さなければ≠ニいうその思いでのみ動いていた。 そしてそのことが、今はとても悲しい。 なくしたくないのは本当だ。今だって、同じ状況に陥ったらきっと同じことを繰り返すだろう。 (―――だけど、) だけどきっとあの少女にも想いがあって過去があって痛みがあって悲しみがあってその果てにあんな狂気に浸されて、それでもたったひとつの言葉を握り締めて現世にしがみついていた。 なにを奪われたのだろう。なにをなくしたのだろう。 それはあの黒い霧に飲まれてもなお忘れられないほど大切なものだったはずなのに。 (私はそれを、消してしまった) 苦痛にまみれながら消えた少女。この手が消した。 それはなんて―――重い。 作った拳につめが食い込む。それでもは力を緩めず、ぎりぎりと握り締める。 自分を殴り飛ばしてやりたかった。 「…ちゃん」 ふいに、なのはがを呼んだ。 の固めていた右手をそっと手に取り、やさしくほぐしながら言う。 「わたしね、後悔はしないよ。これまでも、怖い目には遭ったけど、それだけはしなかった。それはこの先もずっと同じ。…自分で決めたことだから」 「……」 「ちゃんの言うとおり。危ないこともあると思う。もしかしたら、目の前でだれかが傷つくことも…さっきのちゃんみたいに」 それは、とても怖いことだ。大切なひとが、なにもできないまま傷つくのを見るのは。 あの瞬間、なのはは自分を見失った。目の前がぐらぐら揺れて、世界が壊れるような気さえした。 だからなのはは、決意する。 「わたし、強くなるよ。もっともっと、みんなのことを守れるくらいに」 まっすぐ、の瞳に目を合わせる。あの日見たそれと、今はすこし違っていた。 青い光が、水面のように揺れている。神聖な、うつくしい光だった。 普通ならありえないそれを、なのはは静かに見つめる。 「もうちゃんが―――あんな顔をしなくて済むように」 言いながら、なのはは気づいた。 が怖いのは危険≠ナはない。 だって本当に危ないことが怖いなら、あのときなのはを助けるために拳を振るったりしなかったし、そもそも囮になるようなこともしなかったはずだ。 傷つくことが怖いなら、痛みを忌避するのなら、はなのはの背に隠れるのが本当だった。 だけどはしなかった。なのはを突き飛ばして腕に傷を作り、なのはを助けるために少女に挑んだ。 怯えなど微塵も見せず、その代わり―――悲しみをあらわにして。 拳を振るうの、泣きそうな顔が目に焼きついている。 (ああ…そうだ。きっとこれが正解) なのははようやく理解する。 が本当に恐れるもの。声を荒げ拒むもの。 「…悲しいのが、いやなんだね」 息を呑んだの表情に、確信する。 消えてしまった少女。いつのまにか姿が見えなくなった男のひと。もう死んでしまった存在―――幽霊というもの。 どんな声でどんな姿でどんな言葉でに訴えかけるのかはわからない。それでもその悲鳴を、嘆きを、想いを、きっとは受け止める。だって彼女はやさしいから。知りながら、なにもできない自分に憤るくらい、やさしいから。 「ちゃん」 もう片方の手を取りながら、呼ぶ。刹那、言葉に詰まる。暖かくて切ない気持ちが、涙腺をわずかに刺激する。同時にあの、狂気に満ちた少女の声を思い出した。 あの瞬間、なのはは確かに恐怖していた。けれど、今思い返せば、あの少女はあまりにも悲しい存在だった。 満たされない想いを抱えたまま、何年も何年も過ごすなんて、そんな不幸はない。 ≪知らなくていいはずのことを知ってしまったら―――≫ よぎったのは、さっきの司の言葉。唐突に理解できて、なのはは今度こそ泣きそうになった。 の真意の、さらに向こう側に気づいたから。 「知ってほしくなかったんだね」 わたしに。―――は眉を寄せて瞑目した。それが答えだった。 にとっての非日常≠ヘ、悲しみとイコールで結ばれている。そこになのはを踏み込ませた(とは認識している)ユーノを、彼女は許せなかった。 だから怒った。それはとても、やさしい怒り。 なのははの両手を握り締め、瞳を潤ませる。 どうしたらいいのだろう。この少女の気持ちに報いるには。寄せられた好意と気遣いに応えるには。 少し考えて、なのははいいことを思いついた。 そうだ、そうしよう。それが一番いい。の抱えている悲しみ。それをわずかでも軽くできる方法を思いつけたことに、なのはは喜んだ。 「ねえ、ちゃん―――」 なのはのその決意を聞いたが、呆けたように瞠目する。 なのははそんなの手を握り、満足げに笑った。こうして手をつないでいれば、なのはのその決意≠焉A実現できると信じているかのように。 |