「な、え、なに?」「これは…!?」 色めき立つなのはとユーノを横目に、は比較的冷静に異変の源を見やった。 隣に立つおじさんも、厳しいまなざしながら落ち着いている。 ふたりの視線の先には、深く昏い、人型の闇がたたずんでいた。
第4話 つないだ手のひら(3)
少女、だった。 たちよりも2、3ほど上の、そしてたちと同じ、白い制服に身を包んでいる。 少女は半透明の身体に、胸の中央に青い宝石のようなものを埋め込んでいた。黒い長い髪を、片側だけ青いリボンで括っている。 ひとではないと決定づけるなによりのそれは、少女の双眸だった。 まるで、この世の闇という闇を凝縮したようなふたつの黒。ぽっかりとそこだけ穴を空けたような、ひどく空虚なそれは、少女を人外たらしめている。 隣で、なのはが息を詰めていた。怯え、恐怖し、震える吐息。 しかたないな。―――は思う。だってこんな狂気の塊は、でさえめったにお目にかかったことはないからだ。 幽霊、とは。気狂いと言い換えてもいい。それほどに、狂ったものらが大半を占めていた。 おじさんのように、自我を保ったままこの世に居座り続けるものはごく少数だ。長い、長い時を過ごすうちに、幽霊のその魂は、どんな形であれ狂気に染まる。あるいはそれはひとの本能かもしれない。だれとも話せず、触れられないという日々は―――孤独だ。 (どちらにせよ、生きてる者にとっちゃ害悪に変わりはないけどね) がそう、ひとりごちたときだった。 『あ、あァぁア、アアアぁ……か、カえ、シ、テ……』 痙攣するようにがくがくと首を小刻みに動かし、少女がよどんだ瞳をこちらへ向ける。その瞬間、は思考よりも速くなのはを抱えて横に跳んだ。 「え…!?」 なのはが驚愕に声を上げた。 たちが立っていたその場所が、まるで刃に削られたように一筋、大きな傷痕を作っていた。 (うそ…) なのはの背筋が凍りついた。知らず抱えられたの腕をつかむ。 はなのはの怯えを感じ取り、両腕にさらに力をこめた。 『カカカカかエシテテテテぅああぁァあアアアああ!』 「…跳ぶよ」 背後に迫る狂った敵意を感じ取り、はなのはに言ってさらに床を蹴った。 ズガン。轟音を立てて椅子や机が砕け、たちの数センチ先を掠める。 の背筋にも冷や汗が垂れる。さっきから鳴り止まない心臓は死の予感をに訴えている。訴えられても困るのだが。 (くそ、やばいな) 腕の中のなのはを見れば、青ざめて震えている。 大人びているとはいえ小学3年生。こんな深い狂気にも敵意にも触れたことはないだろう。竦んでしまってもしかたがない。 彼らが言っていた魔法とやらがどういうものか知らないが、戦力としてカウントしないほうが確実だ。 やるべきことはひとつ。ここから脱出すること。 「…高町さん」 「……ッ」 「高町さん!」 「―――ッ、は、はい!」 「…私があいつを足止めする。だから、高町さんはここからの脱出方法を考えて」 「え、あ、あの、でも、「時間がない! やるのやらないの!?」…ッ!! は、はい、やります!」 「オーケーそれじゃ、頼んだ―――よっ!」 なのはの細い肩を、思い切り突き飛ばしてバックステップを踏んだ。 不可視の刃がを襲う。一撃、二撃とかわすが、三撃目にして腕を掠めた。のむき出しの左腕に、一筋の赤い線が走る。 「ちっ」 『あああうぅぅァァア―――はハハハははハはははハ!!!』 「なにが面白いんだか」 『!』 「だいじょー、ぶっ!」 おじさんの声に応え、床を蹴り上げ机に足をかけると、そのまま机と机を跳んで移動する。なのはから遠ざかるように、少女の意識を引きつけるように。視界に映ったなのはは、しゃべるフェレットとなにかを相談しているようだった。 ひどく青ざめているが、目には意志の光が戻っている。 がそれを視認したとき、少女の敵意が膨れ上がった。 攻撃の気配には内心で毒づく。 (くそっ、見え≠ウえすれば避けられるのに…!) 迫り来る敵意の気配を感じながらどこから来るのかわからない―――そのジレンマに舌打ちした瞬間、視界がなにかを捉えた。 「!?」 それがなにかもわからずに身体だけが動く。 机を蹴って跳ぶ――1つ――、空中で身体をひねる――2つ――、着地した瞬間に肩から転がる――3つ――。かわしたそれらが机を砕き天井を壊し床をえぐったとき、その正体に気づいた。 (視え≠トる!?) 目の奥が燃えるように熱い。 まばたきするたびにそれは鮮明に、の視界に現れる。 すばやく少女に視線をやると、少女の身体からどす黒い霧が吹き出ているのがわかった。 「ちゃん…!!」 突き飛ばされ、起き上がった瞬間にはすでにの腕に傷ができていた。 したたる血の量がその傷が決して浅くないことを物語っている。 なのはの喉から引きつるような呼び声が出たとき、が笑ったような気がした。 顔から血の気が引くのが自分でもわかった。手が震え、身体が言うことを聞かない。立つことも満足にできず、できるはずの魔法さえその瞬間、なのはの頭からは消え去っていた。 「なのは…っ!」 「どうしようユーノくん…! ちゃんが、ちゃんが!!」 「落ち着いて、なのは! 彼女なら大丈夫だよ!」 「大丈夫じゃない! ぜんぜん大丈夫じゃないよ!」 だって怪我をしているのだ。それにあの少女の攻撃は見ることができない。見えないのにどうやって避けるというのか。 そんなことは不可能だ。絶望的なイメージがなのはの思考に浮かぶ。 大切な友だちが傷つく。あのきれいな目をした友人が、なのはの目の前で。いや、それ以上に悪いことが起こるかもしれない。 そう、もしかしたら―――■んでしまうかもしれない。 「―――ッ」 ひゅ、と喉が鳴った。息が、うまくできない。心臓がひどく暴れて、それなのに全身が温度を下げる。 ――怖い。怖い怖い怖い嫌だちゃんだめだよそんなの嫌だやめてやめてやめて……!! 「なのは、ごめん!!」 「!!」 小さな痛みが手の甲に走り、見ると右手に引っかき傷ができていた。 見上げてくる、黒いつぶらな瞳がなのはの視線とぶつかる。 「ごめんなのは。でも聞いて。彼女は自分の身を呈して、ぼくらに時間をくれたんだ。この状況の打開策を考える時間を」 「……」 「だからぼくらは考えなくちゃいけない。なにができるか、なにをすればいいか。こんなところで呆然としている場合じゃない! ぼくらもできることしなきゃ! そうでしょ、なのは!!」 「……」 訴えかけてくる声に、思考が戻る。恐怖に支配されていた全身が、なのはの意識下に帰ってくるのがわかった。 ―――そうだ。自分はに任されたのだ。ここからの脱出を。この状況の打破を。 なのはがひとつ瞬いて、その瞳に理性が戻ってきたのを確かめて、ユーノは安堵の息を漏らした。 「ユーノくん、どうすればいい?」 さっきまでの狼狽ぶりがうそのように、理性的な声色でなのはが問う。ユーノはを襲う少女を見やった。 「この空間は彼女が創り出している。だったら、その大元を抑えればいいだけだ」 「じゃあ、あの子をなんとかすればいいの?」 「そう。あの身体の中心にあるジュエルシード。あれを封印さえすれば、たぶん。…だけど、あの子に魔法が効くかどうかはわからない。彼女の使っている力は、魔力とは違うから」 「そんなの、やってみればわかるよ」 なのはは立ち上がって、杖を構えた。 「レイジングハート、いけるよね?」 ――Sure. なのはの問いに、電子音がしっかりと応える。 そして杖先の宝玉に光が宿り―――桃色の弾丸が、まっすぐに少女へと放たれた。 |