「それで、学校はどうやった?」 「まあ、ぼちぼち」 「ちゃんと挨拶できた?」 「…はやてさんは私をどう見てるのかな」 「あはは」 日もとっぷりと暮れた時間。はふたたび八神家の食卓にお邪魔していた。スーパーの買い物途中、ばったりと会ったのが運の尽き。以前の「また来る」発言を言質に、は突撃☆八神家の晩御飯≠敢行させられていた。 『ほんで、友だちはできたんか?』 「…まあ、ね」 『ほほう』 「なにその意外そうな顔」 『いやぁ。なんやって人付き合いに不器用そうやからなぁ』 「たいがい失礼だなあんたら!?」 「…?」 「あっ、いや、…なんでもない」 後ろでにやにやしているひと。あとでコークスクリュー。
第3話 ちいさな約束(3)
そして夕飯を終えたは、前回と同様に帰宅しようと腰を上げた。が。 「やっぱり、今日も帰ってしまうん?」 「あー、うん、まあ…遅くまでいるのも悪いし」 「ほんなら、泊まっていったらええやん」 『……』「やぁー…」 どう答えたものかと考えあぐねていると、ふいに、はやての空気が変わった。 気づいて目をやると、見上げてくるはやての視線とぶつかる。数度瞬いたそれは、今までにない曇りを見せた。 「……は、わたしとこうしてるの、迷惑なん?」 「え?」 「迷惑やったら、そう言って。もう、無理言わへんから」 「そ、そういう…わけじゃ…」 無理やりに作られたはやての笑顔は、すぐに引きつって壊れた。 尻すぼみに否定するから目をそらし、うつむく。 ひざの上に乗せた手が小刻みに震えているのを見つけて、は舌打ちしたい気分になった。 「あの…迷惑じゃないんだ。これは、ほんと」 「…ほんまに?」 「ほんまほんま」 「…へたな関西弁」 「うっさい」 ぷ、と噴出すはやてに安堵する。視界の端でおじさんも胸をなでおろしていた。 「ほんなら、なんで?」 くりくりと丸い目がを見つめた。これはどうやらごまかしは効かないようだ。はひとつ息をつくと、言った。 「……あんまり親しくなると。…別れるときお互いつらいでしょ」 「別れ…」 「前に言ったっけ。引っ越し多いって」 「ん。聞いた覚えはある」 「いろいろ事情があってさ。一箇所に留まることって少ないんだ。転々としながら生きてる。だから、そこでいくら親しいひとを作っても…すぐに別れることになる」 「それが悲しいから、親しいひとは作らんの?」 「まあ、そう」 「………あほ」 「はっ?」 唐突なあほ呼ばわりにあぜんとするへ、はやての追撃が来る。 「あほやあほ。なんやその理屈。ぜんぜん納得できへん」 「な、だって、「だってもなにもない」……」 ええか?―――はやてはまっすぐにを見据えて言った。 「最後が来るから、最初も作らんなんて、そんなん臆病者の理屈や。別れはどんなにがんばっても、つらいものや。そやけど、ううん、そやから、出逢いを大事にするんやないの?」 「……」 「今を楽しむ。めいっぱいにしあわせに過ごすんが、一番正しいことやろ」 「…どうせ別れるのに?」 「どうせ、なんて言うてたら、なんも始まらへんやん。始まらなかったら、だれもしあわせになれへん。そら、その分最後もないから悲しいこともないけど…しあわせやなくて、悲しくもない―――そんな状態が、ほんまにええことやと思う?」 問いかけて、はやては口を閉じた。 はじっと覗き込んでくるはやての視線から逃れるように目をそらした。そこにはおじさんが、はやてと同じまなざしをして立っていた。 はふたりから視線を受けて、ため息をついた。 それから長い沈黙を経て、ようやく口を開く。 「……おもわ、ない」 の答えは、はやてに満面の笑みを浮かべさせた。 それから数時間後。友だちと一緒に入浴という初体験をしたは、さらに友だちと一緒のベッドで寝るという未知の領域へ足を踏み入れようとしていた。 部屋に入って、室内を見回す。 子どもなら3人は並んで寝られようかというベッドに、たくさんの本が並んだ本棚。それから、木製の勉強机がある。 「…ねえ、この本ってなに?」 ふと目に留まったのは、一冊の本だった。それは鎖で閉じられて、本棚に並ぶ本とはまったく異質な印象を持たせる。 まるで封印でもしているみたいだ。のその印象が大当たりだったことが判明するのは、ずっとあとのことだ。 「ああ、それ? わたしも読んだことないんやけど…装丁がきれいやから、ずっと持ってるんや」 「どこで手に入れたの?」 触ろうとして、やめた。父の贈り物≠ずっと見てきた経験が、警告した。この本はおかしい、と。 「さあ…。物心ついたころからずっとあったから、ようわからへんなぁ。たぶん、お父さんたちのやと思うけど」 それを聞いて、視線をさりげなくおじさんのほうへやる。おじさんは黙って肩をすくめた。彼もよく知らないらしい。 『俺も覚えてないんや。事故があって、この状態になって、はやてのところに来たときには、もうはやては持っとったからなぁ』 「…ふうん」 はそれ以上追及することなく、その本から目をそらした。 それからふたりはベッドに入って、他愛ない話をした。学校、病院、最近読んだ本のこと。 そうして時計の針が12時を回ったころ、はやてはようやく眠りについた。 「結構夜更かしするね、この子」 はやてを起こさないよう声量に気を遣う。話しかけられたおじさんは微苦笑した。 『寝る前の読書も、だいたいこの時間までやっとることが多いからなぁ』 「私一応ジョギングがあるんだけどね…」 『ほんなら、もう寝たらどうや?』 おじさんの勧めに、は天井を見上げた。おじさんも虚空を見つめて、口をつぐむ。しばらく、そうしてふたりは黙っていた。 「言っとくけど」 おもむろにが言った。 「たいしたことはできないからね」 おじさんは軽く笑って答える。 『安心しぃ。最初から、そんな期待はしてへん』 はおじさんを横目で見て、そこに本当に他意がないことをたしかめると、不可解そうに眉をよせた。 「いいの?」 『ええよ』 おじさんはあっさりうなずいて、続ける。 『はそういうん、たぶん嫌いやろ。自分で選ばれへんこととか、ひとに選ばされることとか』 「…うん」 『…そやからな。は自分で考えて、思ったとおりにすればええよ。やりたいようにやったらええ。それに、』 「それに?」 『俺がなにも言わへんでも、はこうやって、はやてといてくれるやん』 はそれには答えなかった。ただ黙って、天井を見つめる。 はやての寝息は穏やかで、なぜかずっと聞いていたいと思った。 翌朝。朝食を終えて席を立つを、はやてが見上げる。それを見やり、は内心で嘆息した。 本人は、わかっているのだろうか。自分が寂しさを隠し切れていないことに。 玄関を出て、見送りに来たはやてを振り返る。はやては微笑みだけを浮かべていた。 はそんなはやてをじっと見つめて、逡巡する。そして言った。 「また、」 「え?」 「…また、泊まりに来るよ」 「あっ―――、うん!」 弾けるようなふたつの¥ホ顔を見やって、空を仰ぐ。 果てのない蒼が、まぶしく輝いていた。 |