「さて…それじゃあ、そろそろ」 晩御飯を終えて、しばらく雑談をしていたは、時計が8時を回ったころ、立ち上がった。 はやてが不満そうな顔をに向ける。 「もう帰るん?」 「うん、だって、もう遅いし」 「せやったら、泊まっていってええよ? うちにはだれもおらへんし…」 「あー…せっかくだけど、今日は…ほら、片付けとかあるし」 「…そ、か…」 目に見えて消沈したはやてを見て、は気まずげに目をそらす。 その背後の彼≠烽ヘやてと同様に肩を落としているのが、なおの良心をゆさぶる。 「ほんなら、しゃあないな。玄関まで送るわ」 寂しさをこらえたはやての笑顔が追い討ちをかける。 ずきずきと胸が痛んでしょうがない。その痛みにつられて、はつい言ってしまった。 「ま、また来るよ。そのときは、泊まるから」 「ほんま!?」 「うっ……うん」 やっちゃった。そう思ってももう遅い。はやてがまぶしいくらいの満面スマイルを浮かべ、後ろのソレ≠焉wわーい』とばんざいしている。おまえいくつだ。 深みにはまらないよう、はまらないように念じていたはずなのに、うっかり口を滑らしたは、なんだかすごく夢から遠のいてしまった気がした。
第1話 人の夢、と書いて儚い(3)
2階の自室に入ったは、ベッド脇の窓を開ける。夜風が青いカーテンを揺らした。 窓枠にひじをついて、ため息をついたあと、肩越しに振り向いて、ようやく自分から、ソレ≠ノ声をかけた。 「…で、なんでついてきてんですか?」 『あ、よかったー、やっぱり俺が見えるんやな』 部屋の真ん中に男が立っていた。茶色の短髪。180以上はあろうかという痩躯。ややたれ目がちの顔は、はやてによく似ている。 彼はにこにこと人当たりのいい笑顔を浮かべていた。 『ずっと無視されとったから、気のせいやったんかと思うたわ』 「……っていうか、不法侵入って、知ってます?」 『なにそれ、うまいん?』 「……」 はこめかみを押さえた。 『いやいや、それにしても、うれしいなぁ。こんなふうにだれかと話すの、久しぶりやわ』 「…泣き上戸のおばちゃんはどうなったんです?」 『ああ、あのおばちゃんなぁ。話しかけたら軽く1時間説教されたわ』 「…泣き上戸のうえに絡み上戸か…」 なんという厄介な幽霊だ。呪い殺そうとする連中もいやだが、そういうのにも関わりたくない。 『まーでもコンビーフのおいしい食べ方について語り合うたら意気投合したんやけどネ!』 「なにについて語ってんの!? 説教からどうやってコンビーフにたどり着いたんだあんたら!!」 が心のままにツッコむと、ふいに男は黙り込んだ。 うつむいて、肩を震わせはじめるおっさん(推定30代)に、若干身構える。 『…っうぅ…』 「な、なに?」 『は……8年ぶりのツッコミやぁ! これや、これなんや! 俺はこれを待っとったんやー!』 「感動するポイントがさっぱりなんですけど!?」 『俺がいくらボケてもはやては聞いてくれへんし』 「そりゃそうでしょ」 『ほかの幽霊仲間もほとんどがツッコミとボケを理解してくれへんで、みんななんや「殺す」だの「呪う」だの「あんぱんはこしあんがデフォ」だの』 「最後のなに?」 『ほんまにもーっ、寂しゅーて寂しゅーて、死んでしまいそうやったわー!』 「もう死んでるだろがっ!!」 『ひでぶ!?』 感動のあまりなのかこれもボケの一環なのか、よくわからないが抱きついてくるおっさんを掌底で殴り飛ばす。 なにやら定番のヤラレ台詞ではじかれたおじさんは床に転がった。 『いたたたた……え、痛い? …痛い!?』 「そりゃ痛いでしょ殴ったんだから」 『いやそうやけど…え、いやいやいや…えぇ? いやいやいやいや!!』 (おもしろいなコレ) は混乱のきわみでおろおろしだすおっさんを眺める。 おっさんは殴られた顎を撫でながらしきりに首をかしげている。 『えぇー? な、なんで? なんで痛いんや? っちゅーか、殴ったって、どうやって?』 「気合」『気合なん!?』 最近の若い子は気合で幽霊殴るんかーっ!―――驚愕のおじさん。は鷹揚にうなずいた。 「疑問が解決してヨカッタネ。それじゃあ、お引取りください。そしてもう2度と話しかけないで」 『えぇ!? そない寂しいこと言うのやめてぇな。もっとお話しようや! なっ? なっ? 右隣のおうちのへそくりの場所教えたるからぁ』 「教えてどうする! 盗めってか? 盗めってのか!?」 『8年ぶりなんやぁー、生きてる人間と話せる機会なんてそうそうないんや! このチャンスを逃す俺やないでーっ!』 「大丈夫だよほかにもきっと私みたいなのいるって諦めずに探せばきっといるさチャンスは巡ってくるからほらネバーギブアップだよかの安○先生も言ってたでしょ諦めたらそこで試合終了ですよってガンバレ、負けんな、私のことは諦めてね」 『言ってることが矛盾しとる!? いややー、俺はきみがええねんきみしかおらんねんきみが必要なんや!』 「ぜんぜんうれしくない! とにかく放せ! はーなーせーっ!」 『いやや! 絶対放さへん! はーなーさーへーんーっ!』 腕を掴む幽霊とそれを引き剥がそうとするの攻防が約5分続いた。 永遠になるかとも思えたそれを止めたのは、お隣からの苦情だった。おばちゃんコワイ。 「うぅ…引っ越し初日からご近所に苦情を言われるとは…幸先悪い」 『なんや謝る姿がやたら慣れとったけど』 「謝罪経験は豊富だから」 『…苦労しとるんやな』 幽霊にまで同情される少女、(8歳)は、玄関から戻ってくると、ソファに飛び込んでぐったりと動かなくなった。 『…えぇと、?』 「…なに」 『あ、あんな、ほんまに迷惑やったら、もう来ぉへんよ?』 「あんだけ粘っておいてなにをいまさら」 『そうやけど…でもな、もなんや、俺と話しとうないみたいやし…迷惑がってるの、無理につき合わせるのも悪いし…ただ、話せたのがうれしくてしゃあなかったんや。ごめんな、ほんま、俺って空気読めへんところあるから…』 気まずげに、寂しげに、迷惑かけてごめんとおじさんは言う。は彼から目をそらして、クッションに顔をうずめた。 (……もう、なんなんだこの親子) 揃いも揃って、絶大な威力の精神攻撃を仕掛けてくる。しかも天然。なんだこの最強コンボ。 『せやからな、その、えーと、「…べつにいいよ」…へ?』 はクッションから顔を離さず、くぐもった声で言う。 「私の夢なんて、どうせ叶わないって半分は諦めてたし…幽霊に気を遣われるってのもなんかあれだし。話し相手くらいにしかなれないけど、暇だったら来れば?」 『ええのか?』 「2度は言わない」 『…おおきに! いやー、思ったとおり、はええ子やなぁ! はやての2番目くらい!』 「……」 あふれんばかりの笑顔を一瞥して、クッションを抱えなおした。 『ところで、の夢ってなんや?』 「平穏」 『……ほんま、苦労してるんやなぁ』 「るっさい」 『ぶほっ…って、クッション!? 投げても当たるんか!』 人の夢と書いて儚い。その文字を思い出して、はこぼれそうになるため息を飲み込んだ。 |