その後の話を少しだけしよう。



 ロベリアさんとの別れから、2年が過ぎた。
 わたしはいま、ロベリアさんと、巴里を一望できる丘の上に来ていた。
 夜の闇がわたしたちを包み込む。
 眼前に広がる灯火。そのひとつひとつに、だれかの笑顔があるのだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、



 ロベリアさんがおもむろに言った。

「ほしいものは手に入ったか?」

 わたしは隣に立つ彼女を見上げ、

「これから手に入れる予定です」
「そうか」

 ふ、と。
 ロベリアさんの視線が一瞬、伏せられる。
 どこに焦点を置くべきか迷うようなしぐさは、彼女の懐く不安をわたしに如実に伝えていた。
 ああ。
 わたしはつい、笑ってしまう。
 こんな顔もするひとなのか。

「なに笑ってんだよ」
「いえ」

 不機嫌に眉を寄せるロベリアさんに言う。

「まだまだ、わたしの知らないあなたがいることが、」

 うれしくて。
 ―――その瞬間、ロベリアさんは盛大に顔をしかめた。
 けれど彼女の目元はうっすらと染まり、それが怒りの表情でないことを表す。

「…ばかかおまえは!」
「すみません」

 それでも笑顔は変わらない。
 ロベリアさんはそんなわたしを見ると、やがて諦めたようにため息をついた。
 わたし、もしかして、初めて彼女を振り回してみたんだろうか。
 そう訊ねると、ロベリアさんはなにか言いたそうな顔をしたあと、二度目のため息を吐き出す。しあわせが逃げそうだ。

「どういう意味ですか、その反応」
「自分で考えろ」
「……?」

 なにやら「相変わらず」とか「自覚がなさすぎる」とか言っているけど、よくわからないので置いておく。
 それよりも、言わなければいけないことがある。

「ロベリアさん」

 わたしは彼女に向き直って、その氷の色をした瞳を見つめる。
 ロベリアさんも真顔に戻って、わたしを見つめ返す。
 わたしは、しばらく、そのきれいな顔を眺めたあと、口を開いた。

 ―――大切な。
 大切な、ものがあって。
 失いたくなくて。でも、なくしてしまって。
 もう二度と立ち上がれないと思って。
 逃げ出した。喪失の痛みから。すべての記憶から。

 でも。

 そうやって、臆病なまま、なにもかもから目をそらしていたわたしに、それでも待っていてくれるひとたちはいて。
 見守ってくれているひとたちはいて。
 わたしはまた、歩き出そうと思った。歩き出せると、思った。
 だから。

「あなたに、伝えたいことがあります」

 はじめよう。もう一度。
 月はもう、怖くないから。



月とノラ猫 完



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up data 08/12/21
蛇足のようなエピローグ。