とある異界の竜殺し (うんまあそんな気はしてたよ) シリアス気取って消えたアルトは、気づけば森の中で仰向けに倒れていた。 木々の葉に囲まれた空はどこまでも青く透き通っていて、遠くでは小鳥のさえずりが響き、花々が静かに息づいている。 平和だ。どこもかしこも。 アルトはおのれの腕を持ち上げる。 生きている。痛いところはないし、具合も悪くない。つまり無傷。あの魔法陣、じつはハッタリだったのではなかろうか。 アルトは身を起こして深くため息をついた。 「やっぱ死ねないかぁー」 がりがりと頭を掻く。美しい青銀が乱暴な手つきに乱れた。 あれだけ大掛かりな魔法なら、致命傷のひとつくらいあってもよかったのに。 自分の頑丈さにはほとほと呆れる。エアもこうなるとわかっていたなら、思わせぶりな顔はやめてほしい。うっかり期待してしまったではないか。 10年も待って、まだ自分を殺せる人間が現れないことに、アルトは失望を禁じえない。 あれだけまじめにさよならを言った手前、とっても恥ずかしい。 (エアめ。あとで覚えてろよ) 内心で呪詛を垂れながら、アルトはよっこいせと立ち上がった。 傍らに転がっていた二振りの剣を腰に突き刺して、歩き出す。 「ってかここどこだろうなぁ」 あれは、まるで転移魔法のようだった。 アルトが体験したのは1回きりだが、あの森の賢者と呼ばれる腹黒エルフ(ステータス:親ばか)のところにある転送機に、感覚がよく似ていた。 まさかアルトを滅ぼすための魔法に転移魔法なんて使われるわけがないが、なんだかふしぎな感じだ。 (それはさておき。ひとまず人里に下りて、場所をたしかめよう) アルトは足を進めた。ちなみに進む方向に確たるものはない。要するに適当。アルトと旅した仲間たちからは頼むから考えなしに進むのはやめてくれと何度も何度も何度も何度も言われたが、華麗に流すのがアルト流だった。 おかげで何度も何度も何度も何度も迷子になったが、懲りないのもアルト流だった。 だって考えても考えなくても迷うもん。 そう言い返したら腹だしシスコンには無言で殴られ、思春期真っ盛りの少年コーンスにはため息をつかれ、自称相棒のおっさんリルビーには大爆笑された。あいつら今に見てろよ。ちくしょう。 脱線した。 とにもかくにも、移動しよう。動かなければ始まらない。 アルトはさらに歩を進める。 (しっかし、ほんとにあの魔法なんだったのかなぁ) あそこまで大人数が必要な魔法なんて聞いたことがない。 いったいどんな効果の魔法だったのだろう。 アルトは考えながら、目の前をふさぐ枝葉を手で押しのける。すると、開けた場所に出た。 大きな川と砂利。水の音を追ってきたのは正解だった。川に沿って下っていけば、おそらく人里に出られるだろう。 しかし、その必要はないことをアルトはわかっていた。なぜなら、川の近くに数人のひとの気配がするからだ。 アルトは砂利を踏みしめて一歩を踏み出す。 見えたのは、子どもだった。片ほどまでの黒髪を後ろでくくった、女の子で、見た目からして年は5、6歳程度。あまり見かけない肌の色をしている。少女は川に手を入れて遊んでいて、そのそばに、彼女を守るように、11か12歳ほどの不自然なくらい黒い髪の少年がたたずんでいた。整髪料を使っているのか、意図的に毛先を立たせたような髪形をしている。そしてふたりとも、長いあいだ放浪していたアルトでも見たことのないような服装だった。 2人はアルトの足音に気づき、顔を上げる。 少年はアルトの姿を認めると、それまで穏やかだった顔をとたんに引き締め、子どもを守るようにアルトの前に立ち、腰からすばやく短剣を抜いた。 子どもたちとアルトの距離は、大股で5歩ほどだった。 アルトは少年がなぜそこまで警戒しているのかわからず、首を傾げながら話しかけた。 「なにもしないよ」 「―――!?」 少年は警戒を解かないまま、困惑の表情を浮かべた。 どうしたのだろう、と思いながら続ける。 「ねえ、ここがどこだかわかる? できれば人里に出たいんだけど…」 「……」 「…聞いてる?」 黙りこんだ子どもたちに、ふしぎに思って問いかけると、 「 、 ?」 「…え?」 言葉、だったと思う。しかし、聞いたことのない言語だった。 旅の途中、知らない言語に出逢うこともたびたびあったが、ほとんどはアルトが幼少から使っていた言葉で事足りていた。 だから、まったく言葉が通じないという事態は、アルトにしても初めてで、おそらく向こうもそうなのだろう。 両者は困惑しきってしまい、黙り込む。 (…参ったなぁ) 困り果てて頭を掻くアルトに対して、少年はやはり警戒を解かない。よほど少女が大事なのだろう。これ以上近づくと余計に刺激してしまいそうで、アルトは身動きが取れなくなった。 言葉が通じない、ということは、今までいた大陸とは違う場所だ。もしかしたら世界の果てかもしれない。 (―――そうか、なるほど) アルトはさっきの自分の感覚が間違っていなかったのだと気づいた。あの魔法は、つまり、アルトを遠いところ転送する、正真正銘の転移魔法だったわけだ。あそこまで大掛かりなのは、ここがそれだけ距離のある場所だということだ。 殺せないならべつの場所へ。 単純だがたしかにこれなら効果はある。結局は、戦乱の火種をほかの国へ押し付けただけの行為ではあるが。 (まあ、それだけせっぱ詰まってたのかな) アルトは青い髪をぐしゃりとつぶして口端を歪めた。 目の前の子どもたちが驚いたような顔をしたが、無視してきびすを返す。言葉が通じないのではしょうがない。その上ここまで警戒されていては、望まない戦闘をすることになりそうだ。 そんなアルトの背に、声がかかった。少女の声だった。どうやら自分を呼んでいるらしい。 アルトが怪訝に振り向くと、少女がこちらへ駆け寄ってくるところだった。少年があわてて少女を引き止めているが、少女は聞いていない。 彼女はアルトに寄ってくると、アルトの手を取って引っ張った。こっちへ来いと言っているらしい。アルトは首を傾げながらおとなしく従った。 少女はアルトの手を引いて、少年のもとへ行く。 口をへの字に曲げていた彼に、少女がなにかを言った。少年はアルトと少女を見比べて、ため息をつく。 そして少年が片手を軽く挙げると、四方から数人の大人たちが現れた。 アルトは眉ひとつ動かさずそれを見ていた。 ぶっちゃけた話、アルトは最初から彼らの存在には気がついていた。 川辺に近づくほどに追いかけてくる視線は強くなるし、少女を視界に入れた瞬間に敵意は増した。 それでも沈黙を保っていたのは、アルトが何者かを見極めようとしていたからだろうか。 おそらく、アルトがあと一歩でも近づけば、四方を取り囲んでいた彼らが飛び出してきただろう。 アルトも判断がつかなかったから放っておいたが、彼らは子どもたち―――厳密には少女の護衛のようだ。 彼らはこちらへ寄ってくると少女となにごとか言葉を交わしあい、やがて頷いた。 (完璧置いてかれてるなぁ。なに話してるんだろ) 疑問符を浮かべながらそれを見ていると、ひとりの男性がアルトへ向き直った。短く刈った黒髪に、やはり見慣れない服装だが、戦場に立つ者の格好でないことだけはたしかだと言える。腰に携えた両手剣が、ちぐはぐな印象を持たせ、奇妙さを際立たせる。 護衛ならそれらしくそばにいればいいのに、なんだって少年だけを置いてほかは隠れているのだろう。 これでは護衛という牽制≠ヘ成り立たない。 首をひねっていたアルトの前に立つと、彼は自分の胸に手を当て、「タテミヤ」という言葉をしきりに繰り返す。 「タテ、ミヤ…?」 こくりと頷いた男性に、それが彼の名前だと遅れて気づく。 ふいに手を引っ張られた。見下ろすと、少女がアルトを見上げて、自分を指差す。 「カ・オ・リ」 ゆっくり発音されたそれを、なぞるように口にすると、少女はこくこく頷いて、うれしげに顔をほころばせた。 愛らしい少女が名前を呼ばれて喜ぶ姿はほほえましく、つられてアルトも頬を緩める。 それを見て、少女は目を瞠り、なぜか安堵したようにまた笑った。 これが、天草式十字凄教の女教皇=A神裂火織との出逢いだった。 |