突如として部屋に水戸黄門のテーマ曲が流れた。 これははやて専用の着メロだ。 「もしも『あ、よかったー、まだ起きとった。ちゃん、窓開けて、窓』し、って……窓?」 私は何事かと思いながらも、はやての指示通り窓を開こうとカーテンに手をかけ、 「っはぁ!?」 仰け反った。 窓をふさいでいたカーテンの向こうには、…はやてがいた。しかし、だ。私の部屋は2階にある。その2階にある部屋の窓の外側にはやてはいるのだ。 それはつまり―――、 『ちゃん、入れてくれへん? さすがに見つかってしまうわ』 「ちょっ、なにやってんのー!?」 はやてが空を飛んでいることにほかならなかった。 あわててはやてを部屋に引っ張り込んで、私はその場にへたり込む。 なんか、たいしたことしてないのに、なんだろう。すごい疲労感が。 「大丈夫?」 「だいじょばない。っていうか、なんで窓からなのさ。普通に玄関から入ってきなよ」 「ごめんごめん。こんな夜にインターホン鳴らしたら、家のひとに迷惑かと思って」 「え、あれ、私の迷惑は?」 「え? …迷惑、だったん?」 「……いえ、迷惑じゃないデス」 捨てられた子犬のような目で見られたら、そう答えるほかないだろう。 いまにも泣き出しそうだったはやては、私の否定を聞くととたんに満面に笑顔を浮かべた。 やっぱり計算でしたね。知ってましたよ。このたぬきめっ。 「で、どったの?」 「うん、さっき仕事終わってな。家に帰ってからじゃ間に合わへんようやったから、まっすぐ向かってきたんや」 「…いや、私は、なんでわざわざ仕事帰りに来たのかって訊いてるんだけど」 「…迷惑やった「迷惑じゃないからっ。それはもういいからっ」…ちゃんはやさしいなぁー」 なんか翻弄されてない? 私大丈夫? 「あんな、会いたかったんや」「だれに」「ちゃんに」「……はあ」 はやてが不満げに眉を寄せる。 「もう、反応にぶいなー。愛しのカノジョがこう言うてるんよ。もっと照れて」 「いや、愛しくもないしカノジョでもないし照れる必要もないけど」 「ぶー」 「ぶーじゃねぇ」 ふくれっつらのはやての額を叩いてやる。 はやてはますます目を剣呑にさせる。 「ちゃんってほんまいけずやね。もっとうろたえてほしいわ」 「あほか。これがなのはやフェイトだったら萌えてやってもいいけどね」 「…なんで私じゃだめなん?」 「なんでって…」 「ねえ、なんで?」 小首をかしげるはやて。 私の裾をつまんでいる姿は、うん、まあ、その…かわいいけど。 「あ、いまちょっとかわいいって思ったやろ」 「…そういうところが足りないっていうんだよ」 「えー」 やっぱりはやてははやてだ。 っていうか、こいつ、どこまで本気でやってるんだろう。 …訊いたら全部≠ニか言いそうだから訊かないけど。 「そんで? ほんとにほんとのところ、なんで来たんよ」 「……」 「……? はやて? どったの?」 「……ん。や、べつに。ただ、」 はやてはそこで言葉を切って、本気で憂鬱そうなため息をひとつついた。 「がんばらななーって」 「?」 「せやかて、ほんまに伝わらへんねんもん」 がんばるってなにを、という私の無言の問いかけに、はやては疲れたような顔で答えた。 そして瞳を、なにか、遠いものをほしがるような、切実な色を帯びた光に輝かせる。 「なんで、うまく伝えられへんのやろね」 そこに、子だぬきの姿はない。ただただ、不安定に揺れる、10代の少女がいた。 いつもと違う―――いや、違うからこそ、そのギャップに庇護欲が掻き立てられる。 っ、お、落ち着け! これは孔明の罠だ! 「言っとくけど罠やないよ」 「!!」 「…ほんまにそう思ってたんやね」 そしてまたため息。 「もう、ちゃんってほんま…にぶちんさんやね」 薄く笑ったはやては、子どもが泣くのを堪えているような、ひどく心もとない顔をしていた。 胸の奥の、どこかわからない場所が痛みを訴える。 「…、ちゃん?」 「……あれ?」 そして気がつけば、私ははやてを抱きすくめていた。 な、なんだろう。なんか、すごく微妙な空気が漂っている気がする。 「ちゃん…どないしたん?」 「ど、どないしたんでしょう私…」 「は?」 「なんか気がついたらこのような感じになってまして…あれ?」 「……」 「だってはやてが泣きそうだったし、あの、よくわかんないけど私が原因みたいだし……えぇと。ごめんねにぶちんさんで。もう少し頭よかったらたぶんはやてにそんな顔させなくて済んだんだろうけど」 「……」 「うむ、だから、その…すまん! 謝罪代わりに今夜は私の胸を貸してあげる!」 「……それは……」 声を震わせながら、はやてが私を見上げた。 「それは―――今夜はちゃんを好きにしてええってこと?」 ……はい? 「やったー! いっただっきまーす!」 「って、ちょっと待てぇええええ!!??」 「大丈夫、やさしくするから」とか「やさしくってなんだー! いただきますってどういう意味だー!」とかいうやり取りの末、階下にいた母が怒鳴り込んできてそのまま説教タイムに入った。 ……年越しがこれって、どうよ。 そう思ったけど、はやてがなんか元気になったのでまあいいかと思ってしまう私は、相当どうかしてると思った。 |