No.1



 カチリ、と時計の針が動く。
 静寂の中に、それはよく響いた。
 私の目の前で、はノートを写している。
 私が授業中にとっておいたものだ。
 眉間に寄っている皺は、そのせいだろう。

 今朝から体調不良だったは、4限目に倒れた。
 それからあと遅れてきた彼女は、ノートを貸してもらわなければいけなかった。
 そこで私が、というわけだ。
 にとっては面白くないことだろうけれど、私と彼女はこのクラスでは仲がいいと言われている。
 私にとっては好都合なことこの上ない。

 手に顎を乗せて、ノートの上を滑るシャーペンの先を見つめる。
 きれいに整った文字。蓉子のそれと似ている、と言ったら、きっとはいい顔をしない。
 想像してみて、可笑しさがこみあげる。
 言ってみようかしら。
 私の企みを感じ取ってか、が顔を上げた。
 険のさした両目で私を見る。

「なに?」
 鋭い視線。ぞくぞくする。
 思わず口端が上がる。がさらに顔を険しくさせた。
「気持ち悪い」
「あら、ひどいわね」
「にやにやして見られていたら、誰だってそう思うでしょう」
 そっけない物言い。
 私にこんな態度を取るひとは、だけだ。
 貴重な存在。だから、好き。

「あなたの文字、蓉子に似ているわ」

 途端、の眉間に深い皺ができた。
 底冷えするような凍てついた光りが私を突き刺す。
 予想通り。だけど、面白い。
 笑い声が漏れた。の不愉快そうな表情が、なおさら笑いをいざなう。
 面白い。面白い。

「そうやって、」
 苛立ちを含んだ声が、言った。
「笑っていればいいわ。遠くから、手の届かないところから」
「そうね」
 遠まわしに、私を傷つけようとして吐いた言葉。
 それは確かに、私に少なからず傷をつけた。
 小さなひっかき傷。
 だけどは気づかない。
 そんなことをするときの自分のほうが、よほど傷ついた顔をしていることに。

 はノートに目を戻した。
 さっさと終わらせて帰ろうと思ったのだろう。
「ねえ、
「うるさい」

 呼びかけても、はもう答えなかった。

 欲しい、と思う。
 この、鋭く冷たい視線を、もっと間近で見ていたい。
 私を傷つけるときのあの顔が、好きだ。
 私につける傷痕以上に、深く深く傷ついたような顔が、好きだ。
 だから、欲しい。
 この手に掴んで、そして一生放したくない。
 でも。

。今日、蓉子と聖がね、」
「うるさい!」
 らしからず、怒鳴る。
 ふたりのこととなると、過敏に反応する。それもまた面白い。
「ちょっと、黙ってて」
「そんなに嫌なら、奪ってしまえばいいのに」
 ぎり、と歯噛みする音。
 それができれば、―――そう思っているのが、手に取るようにわかる。

「やさしいひとね」
「ばかにしているの?」
「半々ね」

 本心だ。はやさしい。そして賢い。だから奪えない。
 奪ったところで、それはけして手に入れられないものだと、わかっているから。
 ふたりを引き離すことができないと、わかっているから。

「面白いひと」
「嬉しくない」
「これは褒めているのよ」
「なおさら嬉しくない」

 あぁ、やっぱり欲しい。
 奪って引き離して閉じ込めてしまおうか。
 やろうと思えばできる。
 でもきっと、そうしてしまったら私は、

「ねえ
「……」
「私のこと、好きでしょう」
「大嫌い」

 ―――この答えがなくなれば、飽きて捨ててしまうだろう。
 いつかが振り向いて、私だけを見るようになったら、きっと。
 だから、欲しい。
 だから、要らない。


 振り向かないで。



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up data 05/8/19
適当100題「067:No.1」
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