空を見上げて



 私たちは、どこへ行けばいいのだろう。


 空を見上げた。
 どこまでも、どこまでも遠い空を。

 私の問いかけに、蓉子さんは沈黙していた。
 私も黙り込んで、ただ、空を見つめる。

 風が吹いた。
 校庭で部活をする生徒の声が聞こえる。
 私たちがいるのは、屋上。
 鍵がかかって入れないのを、私が無理やりこじあけたのだ。
 蓉子さんを強引に連れてきて。

「ねえ?」
「……」
 肩越しに振り返る。
 蓉子さんは困った顔で、私を見ていた。

 だれもいない場所に行きたかった。
 蓉子さんと一緒に。
 だれもいない場所を探していた。
 どこにもない場所を。

「私たちは、どこへ行くんだろう?」

 さっきとは少し違う、でも、似た問いを投げかける。
 蓉子さんは答えない。答えられない。
 沈黙し、迷っている。
 私は、笑う。

「蓉子さん」
「…なに?」
「どこへ行くつもり?」
「……」
「これから」

 これから。
 どこへ行くつもりだろう。
 どこへ行けばいいんだろう。
 どこへ。

 私たちが住める場所。
 だれにも気兼ねなく、愛していると云える場所。
 それはどこ?
 どこにある?
 私たちが、私たちでいられる場所は。

「―――さん」
「うん?」
「あなたは、」
「うん」
「どこへ」
 行くの、と。
 最後まで問えず、蓉子さんは押し黙った。
 僅かに伏せた瞳が、かなしみで濡れている。

「私は」
 青い空が目に痛い。心に痛い。
 どうしてあれは、あんなに広いんだろう。
 広いくせに、なぜ私たちを拒絶する?
「だれもいない場所に、行きたい」
「…さん」
 蓉子さんは、悲しげに、でも、はっきりと言った。
「無理よ」
 私は、その悲しげな顔を見て、なぜか、笑い出したい気持ちになった。
「うん」

 知ってる、と答えれば、蓉子さんは、ますます悲しそうな顔をする。
 ごめんね。
 心の中で謝ったけど、口には出さなかった。
 私はいつも彼女を傷つける。

「探そうよ」
「え?」
「どこか、遠くを。遠い場所を。やさしい世界を」
 探そうよ。―――言って振り向けば、蓉子さんは困ったような顔をして、俯いた。

 しばらくのあいだ、私たちは黙っていた。
 私は蓉子さんから視線を外し、空を見上げる。
 そっと手を伸ばした。触れられない。
 当たり前のことが、なんでこんなに悲しいんだろう。
 ひとがひとを愛する、そんな普通のことが、どうしてこうもままならないのか。

 伸ばした手が、不意に、蓉子さんに掴まれた。
 後ろから、そっと抱きしめられる。
 私の手は、彼女の手の中に。
 もう片方は、私の身体に添えられて。
 なんて、やさしい抱きしめ方。

「ここに、―――」

 ここに、いればいいじゃない。

 たぶん、彼女はそう言いたかったのだと思う。
 だけど言わなかった。言えなかった。
 蓉子さんは、そういうひと。

 傍に居てとか、一緒に居ようとか、ひとを束縛することを言えない。
 どんなに望んでいても、願っていても、結局はなにも言わない。
 それが相手のためにならないと思えば、ぜったいに。

 そしてそのとおり、その言葉は私のためにはならなかった。
 なぜなら。

「…うん」
 私は空を見上げた。
 見上げて、目を細めた。
 こんなにやさしく抱きしめられて、なのに私は、とても苦しい。
「そうできたら、よかったんだけどね」



 遠くへ行かなければならなかった。
 だれのためでもなく、私のために。



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up data 05/2/18
適当100題「043:空を見上げて」
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