あなたの微笑み その後



「ん…」
 なにかが頬に触れる。
 それがくすぐったくて、私は身をよじった。
 ふと、顔に影が落ちるのがわかった。
 ゆっくりと目を開ける。

 上半身を起こし、周りを見回した。
 どうやら、ソファの上でうたた寝していたらしい。
 いつのまにか、毛布がかけられていた。
 私は、私を覗き込んでいた彼女を見上げる。

 隣に座ったその人は、やさしい眼差しを向けてきた。
「いえ…大丈夫です」
 私の髪を撫でるその手から、無言の気遣いが伝わってくる。
「疲れてなんかいませんよ。大学は順調だし、それに…」
 その人の手を取って、そっと握る。
「あなたとこうしていると、それだけで安心できますから」

 少し沈黙してから、ふと言った。
「夢を、見ました」
 ふしぎそうなその人の顔に、ちょっとだけ笑って。
「むかしの夢です」
 それだけで、その人はなにかに思い当たったのか、ばつの悪そうな顔をした。
 それを見て、くすくすと笑う。

「謝らなくてもいいですよ。あなたが私と同じくらい、お姉さまのことも大事にしていることを、いまは知っていますから」
 そうじゃなくて、とつづける。
「ふしぎなんです。いま、私があなたとこうしていることが」
 握った手に、目を落とす。

「あれから一年以上が過ぎて、私はこの気持ちを引きずったまま生きるんだと思っていました」
 その手が、私の手を握り返してきた。
「そんなとき、あなたが突然現れて、やっとごまかせるようになった私の気持ちを引っ張り出して、振り回して…」
 困ったようなその人に、私は笑う。
「わかってます。試していたんでしょう? 私がまだ―――あなたを好きかどうか」
 その人のもう片方の手が、私の髪を掻きあげる。

 暖かい感触に目を細めて、素直にそのぬくもりに甘える。
 こんなふうに、自然と受け入れることができるまでに、だいぶ時間がかかった。
「臆病なのは、同じですね…最近やっと、気づきました」
 ずっと強引な人だと思っていた。そして、意地が悪いのだと。
 でもそれは、臆病さの表れだった。

「どちらを失うのもいやだったんでしょう? 私のことも、お姉さまのことも…そして、私に選択させることもいやだった」
 だからあのときは、言えなかったのだろう。
 私に、お姉さまと自分を選ばせる、その苦しみを味わわせたくなかったから。
 臆病なやさしさ。
「でも、結局はそのお姉さまに助けられてしまいましたけどね」
 お姉さまは偉大だ。
 いつも私にとって、最良の選択をしてくれる。
 何年経っても、いや、きっと一生、あの人には敵わない。

 口を噤んで、窓の外を見やる。
 もう日は落ちて、街灯が点いていた。
 少し冷えるな。そう思っていると、突然、抱き寄せられた。
 驚いたけれど、拒むことはない。
 そのまま身体をゆだねると、その人の声が、私の耳元で聞こえた。
 囁かれた言葉に、全身が熱くなる。
 触れ合うことには慣れたのに、言葉にはまったく慣れることができない。
 赤くなった顔を隠したくて、私は彼女の肩口に顔を押し付けた。

「…私も」
 そのまま、口を開く。
「私も、愛しています。―――」
 一呼吸、置いて。

さま」

 名前を口にしただけで、鼓動が高鳴る。
 それがとても恥ずかしくて、私はきつく目を閉じた。



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up data 04/12/12