あなたの微笑み 前編



 覚えている。いまでも。
 鮮明に、脳裏に焼きついている。
 あの人との、最初の出逢い。


「お姉さま」
 薔薇の館の連絡で、私はお姉さまの教室まで来ていた。
 幸いにも、お姉さまは廊下で誰かと話しこんでいた。
 声をかけると、お姉さまは振り返り、優雅に微笑む。
「ああ、蓉子」
 紅薔薇のつぼみ≠ニ呼ばれるだけあって、その様は一枚の絵のように美しかった。
 …妹バカというだけではないはず。

「ごきげんよう。お話の途中、すみません」
「いいのよ。あ、紹介するわね。こっちは、私の妹。蓉子よ」
 お姉さまは私をその人の前に立たせ、私の名前を呼んだ。
「水野蓉子です。はじめまして」
 丁寧にお辞儀をして、顔を上げる。
 そのとき、はじめてその人を真正面から見た。

 ――――息を、呑んだ。

「彼女は、私の友人の、」
 お姉さまの言葉を継いで、その人が口を開く。
。よろしく、蓉子ちゃん」
 ふ、と浮かんだ微笑に、私は一瞬、言葉も忘れて、魅入ってしまった。


 さまは、お姉さまの中等部以来の友人で、薔薇の館にも何度か手伝いに来ているらしかった。
 けれど私が来てからは、出入りしなくなったのだという。
 それを聞いたときは、とても残念で、なぜ残念なのか、そのときにはわからなかった。

 はじめての出逢いから、一年。
 あれ以来、結局さまと話をする機会はなく、私はただ、あの人の姿を探すだけの毎日だった。
 なぜ探すのか、と言われても、答えることはできなかった。
 ただ、気がつけば探している。
 ふとした瞬間に、さまのあの微笑みを思い出す。

 凛とした眼差し。すっと伸びた背筋。
 中等部時代は弓道をやっていたのだという。
 そのせいだろうか。歩く姿も、とてもきれいで、見るたびに目を奪われる。
 笑った顔がいちばん好きだった。
 眼差しの力強さは変わらないのに、それは人を威圧するどころか、むしろ惹き付けるものだった。
 だから、さまの周りにはいつも、人が居た。
 さまのいる空間は、彩りに溢れていた。

 自然と目が追ってしまう。
 声を聞くだけで立ち止まってしまう。
 視界に入ると、それだけで緊張する。
 それは、お姉さまに対する感情と似ているようで、まったく異なるものだった。


「蓉子ちゃん」
 廊下を歩いていて、ふと呼び止められた。
 覚えのある声。けれど正体がわからず、私は僅かに首をかしげながら、振り返った。
 驚く。
…さま」
「ごきげんよう」
 はっとして、慌てて挨拶を返す。

「重そうだね」
 私の両手に抱えられている紙の束に、さまが目をやる。
 私は小さく笑って返す。否定はできなかった。
「どこまで運ぶの?」
 凛とした瞳が私を映す。
 その視線にひどく緊張しながら、それでもせいいっぱい、いつもの自分を心がける。
「職員室です」
「そ、じゃあ半分貸して」

 言われたことに理解が追いつかず、返事が一拍遅れる。
「えっ?」
 訊き返しているあいだに、さまはさっさと私の手から荷物を半分―――じゃない。半分以上取り上げて、歩いていってしまう。

「え、あ、さまっ」
「んー? 職員室でしょ? 早く行くよー」
「ま、待ってください、そんな、悪いです」
「なにが? 私悪いことしてる?」
「いえ、そうじゃなくてっ」
「じゃあいいじゃない」
「ッ…」

 ああ、ものすごくペースを乱されている。
 さまは、こういう人だったっけ。
 思いながら後を追う。
 話したことはない。ただ姿を遠くから見ているだけだったから、わからなくて当然だけれど。
 それでも、イメージと実際のギャップに、私は内心驚いていた。
 そして、驚いている自分に驚く。
 私自身、イメージが先行しているところがあって、そのことで少し悩んでいたのに、同じことをしているなんて。

「どしたの?」
「いえ、なんでもありません」
「そ?」
 さまは一瞬なにかを言いたそうにしたが、すぐに目を逸らした。



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up data 04/12/12