きみの瞳



、眼鏡はどうしたの?」
 登校してきた友人の見慣れない姿に、私は首をかしげた。

 は苦笑して、
「それがさあ、今朝、寝ぼけて割っちゃったんだよね」
「えっ…大丈夫なの?」
 の視力は、眼鏡をかけても1.0に満たない。
 眼鏡なしでは危ないじゃないだろうか。

「大丈夫、とは言えないけど…まあ、平気でしょ」
「…、その手のひらの擦り傷はなに?」
「転んだ」


 ちっとも平気じゃないでしょう。


 そう思ったのは間違いなかった。
 今日一日、はとにかく目が離せなかった。

 あきらかな段差に躓いたり、目が合っているはずなのに見えていなかったり、授業中に先生(黒板)を睨みつけて怯えさせていたり。
 とにかくこっちが気をつけていなければ、危うく怪我をするという場面も少なくなかった。

 目が悪いことは知っていたけど、まさかここまでだなんて。


「あ、ようこー」
「!? ! 走らないでっ、歩いてきなさい…っていうかそっちに行くから階段駆け下りないで!」
 無謀にも二段抜きをしようとしているを必死に引き止めて、駆け足で彼女に近づく。
 廊下を走るなんて普段はしないけれど、と、なにより自分の心臓のために、マリア様には目を瞑っていただくことにした。

…お願いだから、ひとりで出歩かないで…」
「そんなに心配しなくても、階段で落ちたりなんかしないよ」
「あなた教室で椅子に躓いていたでしょう」
 しかも足を引っ掛けたのではなく、思い切りぶつかっていた。
「あれはただのうっかりだってば」
 とんだうっかりもあったものね。

 は普段からうっかり者だけど、さすがにあんなうっかりはしない。
 ただでさえ注意力が散漫なのに、さらに見えていないと来たら、心配するのも当然。
 問題は、本人がまったく自覚なしというところだ。
 いったいどれだけ、冷や冷やさせられたと思っているのだろう。
 今日一日で、確実に寿命が数年分縮んだ。
 勘弁してほしい。

「蓉子ってば心配性だなー」
「あなたがそうさせているんでしょう」
 半眼で睨むけど、には見えていない。
 けろりとした顔で肩を竦める。
「そんなに気にしなくても、少しくらい怪我したって平気だよ」
「私が平気じゃないのよ」
「なんで?」
「なんでって…」

 口ごもった。
 なんで、って言われても…。
 そんなこと。

「…? おーい、蓉子ー?」
 目の前で手を振って呼びかけてくるに、私は嘆息した。
「とにかく、その状態で階段を駆け下りるなんてしないでよ?」
「はぁい」
 は子どものような返事をして、笑った。

「なによ?」
「やー、眼鏡割ってよかったかも、って思って」
「…?」
 声が冷たくなってしまったのは仕方がない。
 こっちがどれだけ気を揉んでいるか、もう少しわかってほしい。

「だって、蓉子にこんなに構ってもらえるなんて、嬉しいからさ」
「―――…」
 不意を突かれて、私は言葉を失った。

 そのセリフは、かなり卑怯だと思った。
 思ったけれど、ついつい喜んでしまう自分が居て。
 そんな自分に呆れたりもして。

「…心配するこっちの身にもなってよ」
「あはは、ごめんごめん。ちゃんと新しいの買うからさ! あ、それじゃあ私、もう行くね」
「あっ、走らないように。階段下りるときは気をつけて。それと、足元には注意―――「わかってるって!」
 は苦笑して、だけどどことなく嬉しそうな顔で、ありがとうと言い残していった。

 その姿が見えなくなり、私は教室へ戻ろうと踵を返しかけ―――立ち止まった。

…どうして私のことがわかったのかしら)
 あの距離と視力で、私と判別することなんて、できないはずなのに。
「………」
 私はが去ったほうを見やり、口端を緩めた。


 もしこれが、自惚れでなかったら。
 今日一日の苦労は、帳消しにしてもいい。



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up data 04/10/15