きみは若かった



 誰かがドアを叩いている。
 深く沈んでいた意識を無理やりに引き上げられ、はぐっと眉根を寄せた。
 ぼやける頭を起こして、耳を澄ます。
 また、ドアが叩かれた。

 枕もとの時計は、三時を指している。起きるには早すぎる。
 ノックはやまない。は仕方なく、ベッドから出た。

 途端に、寒さで頭がはっきりしてくる。
 いったい誰だ。
 不機嫌なまま、はドアを開けた。

「…よーこ?」
お姉ちゃん…」
 四つ下の妹が、涙目でを見上げる。
 目が合った途端、その双眸から涙が溢れてきた。
「ちょっ…どうしたの?」
 は慌ててその肩を引き寄せ、部屋へ入れる。

 ベッドへ座らせ、背中を軽く叩くと、ますます涙は勢いを増した。
 嗚咽を漏らす妹に、の不機嫌はすっかり吹っ飛んでいた。

「怖い夢でも見た?」
 蓉子が小さく頷く。
 は微笑んだ。
「そんな夢はさっさと忘れな。ほら、おいで」
 小さな身体を抱き寄せて、ベッドへ促した。


 両親の教育方針で、と蓉子には、早くから自室が与えられた。
 いわく、「自立心を養う」らしいが、まだ幼い蓉子は、ときおり闇を怖がり、の部屋に逃げ込むことがあった。
 むかし、蓉子は自分たちよりを頼っていると、苦笑交じりに言われたことを、は思い出した。


 蓉子の背中をやさしく叩きながら、気持ちを落ち着かせる。
 蓉子が両腕を回して、にぎゅっと抱きついてきた。
 目じりに残った涙を拭いて、髪をそっと撫でる。
 何度か頭を撫でているうちに、蓉子もやっと安心したのか、次第にうとうとしはじめた。

「眠くなってきた?」
「…うん」
「寝てもいいよ」
 もう一度髪を撫で、掛け布団を蓉子の肩まで引き寄せた。

「…お姉ちゃん」
「なに?」
「ありがとう」
 その一言を最後に、蓉子は瞼を閉じた。
 すぐに寝息が聞こえてくる。
 蓉子を起こさないように注意しながら、その細い身体を抱きしめる。

「おやすみ」

 はやさしく微笑した。



「――――って、ことがあったなぁ」
「「へー」」

 は妹たちが買ってきたポテトチップスをぱくつきながら、そんな思い出話を披露した。
 ちなみに場所は蓉子の部屋。
 向かい合って座っているのは、蓉子が連れてきた友人ふたりだ。
 部屋の主は不在。
 「はじめまして」の挨拶もそこそこに、蓉子は飲み物を用意するため、階下へ行った。

 残されたは、妹の友だちへの歓迎のしるしに、昔話をしはじめたのだった。
 題して、「水野蓉子、思い出を語る」
 …タイトルにまで出てきている、蓉子の意志はまったく無視だが。

「それにしても、意外だなぁ」
 日本人離れした顔立ちの少女が言った。
 バンダナをした少女が同意する。
「そうね、まさか蓉子が、怖い夢を見て泣くなんて」
 はあ、としみじみしたため息がひとつ。

「「想像できない」」

 口調とは裏腹に、ふたりの顔はやけに楽しそうだ。
 どうやらご好評いただいたようで、とが笑ったところで、部屋のドアが開かれた。

「…姉さん、まだいたの?」
「だって暇だから」
「仕事は?」
「もう無理」
 途端に蓉子が半眼でため息をついた。
「またすぐそうやって投げ出すんだから」
「いやほんとに無理だって。絵描きなんてするもんじゃないよ」
「…そう言っているわりには、楽しそうよね」

 そんなやり取りをしている姉妹―――正確には蓉子を眺めて、少女ふたりがにやにやと笑っていた。
 気づいた蓉子が、怪訝な顔でふたりを見る。

「なによ?」
「泣いたのね」
 バンダナの少女が言った。
「は?」
「怖い夢見て」
 つづいてもう一人が言った。

 数秒。蓉子の顔が真っ赤に染まった。
 どうやら意味を理解したらしい。
「ッ姉さん!」
「ははははっ」


 耳まで赤くなった妹に、は声を上げて笑った。



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up data 04/11/15
マリア様好きに50のお題「47:夜更け」
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