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「もう! いい加減にしてくださいよぉ、白薔薇さま!」
「えー、いいじゃないちょっとくらい」
「そう言いながら、どれだけ抱きしめっぱなしだと思っているんですか!」
「うーん、五分?」
「十分です!」
 顔を真っ赤にして肩越しに自分を見上げる可愛い後輩に、聖はにやけた顔を向けた。

「まだ足りないんじゃない?」
「なにがですかぁ。こんなところお姉さまに見られたら、怒られちゃいますよ!」
「それもいいね」
「よくありません!」
 必死で抗議してくる彼女を、両腕でぎゅっと抱きしめなおす。

「ッ、もぉ、白薔薇さま、どうして私にこんなことするんですか?」
「どうしてって…」
 半ば涙目になった後輩を見下ろし、聖はふと口をつぐんだ。
 脳裏に、懐かしい記憶がよみがえった。


 ―――どうしてですか?

 その問いに、彼女はきょとんと首をかしげた。
「どうして私にこんなことをするんですか?」
 努めて冷ややかに、聖が重ねて訊ねると、は明るく笑った。
「いいじゃない、べつにー」
「よくありません。放してください」
「いや」

 きっぱり言って、がさらに腕に力をこめる。
 聖は眉を寄せて、自分を抱きしめている一学年上の生徒を見やった。
「いい加減にしてください」
 拒絶をはっきりと含んだ態度。
 たいていはこれで引いてくれる。けれど。
「いい加減ってどのくらい?」
 は違った。
 こんな調子で、いつも自分を丸め込むのだ。

 聖は嘆息して、睨むような鋭い目つきでを見る。
「いちいち私に抱きつく必要があるんですか?」
「あるんですー」
「その理由を教えてください」
「まあまあ」
「……」
 ごまかすな、という意志の視線でを睨むと、はくすくす笑って、ようやく聖を解放した。

 やっと自由になれた聖は、不機嫌な顔でから一歩距離を置く。
 もともと、触れられるのは好きではないのだ。むしろ嫌いなほうだ。
 ひとと向き合うだけでも億劫なときがあるのに、抱きしめられるなんてもってのほかだ。
 それをこのとぼけた先輩は、隙を見つけては抱きついてくる。
 はっきり言って、迷惑なことこの上なかった。

「どうしてですか」
 もう一度訊ねる。
 いい加減にしてほしかったのと、こんな自分に構ってくる彼女がふしぎでならなかったこともあった。
 は肩を竦めて、「そんなに嫌がらなくてもいいのに」とさほど気にしてもいない口調で言って、腕組みをした。

「んー、どうしてって訊かれてもねぇ。これがいちばん伝わりやすいから?」
「(なんで疑問形…)伝わりやすいって、なにがですか」
「愛」
 嫌いな言葉第1位に見事ランクインしているそれを耳にし、聖はただでさえ不機嫌な顔を、さらに不機嫌にする。
 はわざとらしく怯えたように口元を手で覆う。
「うわー、聖ちゃん顔こわーい」
「ごきげんよう」
「あ、待って待って!」

 問答無用で踵を返す聖を、が慌てて引き止める。
 掴まれた腕を振り払おうとしたが、は思いのほか強い力でそれを拒んだ。
「そんなに嫌がらなくてもいいのに。っていうか、そんな反応だと思ったから、言いたくなかったのよ」
「できれば永遠に言わずについでに捨てておいてほしかったですね」
「それは無理ね。捨て置いたら腐って悪臭放つわよ」
「焼却処分をお勧めします」
「私の愛は不燃物なの」
「では埋め立てで」
「環境問題よ」
「リサイクルは」
「愛は一度きりの魔法だから」

 なんだこの会話。
 聖は眉間に皺を刻み、ため息をついた。
 なんだかもう、すべてがどうでもよくなってきた。
 そんな、明らかに迷惑がっている聖を見て、は楽しげに顔を緩ませる。
「聖ちゃんが構ってくれるー」
「……(このひとは…)」
 どこまで本気なのだろう。
 姉に紹介されて会ったときは、もう少しまともなひとだった気がするが。

さんよ』
『うわなにこの子可愛い! 抱きしめたい!』
『もう抱きしめているわよ、

 気のせいだった。

「だって、聖ちゃんは言葉を信じてないでしょ?」
「―――え?」
 一瞬、聖の反応が遅れた。タイミングのずれた答えは、意図的か無自覚か。
 驚く聖を、は愛しそうに見つめる。

「どれだけ言葉を尽くそうと、あなたは信じない。だから言葉にはしない。あなたが信じられるような形で伝えようと思ったの」
「……」
「さっき、愛≠チて言葉をあえて使ったけど、私の聖ちゃんへの気持ちが、その言葉で合っているのかどうか、正直わからない」
 ただ、それがとても近いというだけ。―――聖は戸惑ったまま、そのセリフを受け止めた。
 はふわりと、聖を両腕で包み込んだ。

「あなたがいつか、言葉を信じられる日が来たら…そのときはきっと、あなたもだれか抱きしめられる」
 確信に満ちた言葉を残し、身体を放して聖にやさしく微笑む。
「そのときを、楽しみに待っているわね」
 くるりと背を向け、はあっという間に見えなくなった。


「―――さま? 白薔薇さま!」
 呼びかける声に、聖ははっと意識を覚醒させた。
「え? なに?」
「なに、じゃありませんよ。突然ぼーっとしだして…大丈夫ですか?」
 心配そうな顔をする後輩を、ぎゅっと抱きしめる。

「ああッ、また…!」
「さっきの答え」
「へ?」
 間抜けな声に軽く笑ってから、聖は言った。

「愛だよ」


―――ああ、そうだ。
     あのひとに逢いに行こう。



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up data 05/3/28