授業風景 真面目なあのひと



 蓉子さんは真面目な顔で先生の授業を聞いている。
 …いや、たぶん普通はそうなんだけどね。
 私はひじをついて、蓉子さんの横顔を見つめた。
 優等生の模範のような、紅薔薇さまの称号を持つクラスメイト。
 何度か話をしたことがあるけど、結構楽しい人だ。
 取っ付きにくいイメージがあるのは、そのバランスの取れた完璧さゆえだろう。

(成績優秀、品行方正、眉目秀麗ときたもんだ)
 こんな漫画みたいな人間が、実際にいるなんて驚きだ。
 だけど、優等生といっても、ちょっと変わったタイプだ。
 好奇心旺盛で、興味を持ったことはなんでもやる。
 前向きに人生送ってる感じがする。
 考えれば考えるほど、蓉子さんという人は面白い人だ。
 …って、こんなこと言ったらぜったい変だって言われるけど。

 それにしてもきれいな顔だなあ、と思いながら見ていると、蓉子さんがこっちを振り向いた。
 ばっちり目が合ってしまった。
「……」
「……」
 蓉子さんは驚いたように目を見開いて、私も反応に困り、固まる。
 お互い見つめ合っていても仕方ないので、私はごまかすように笑いかけてみた。

 一拍。

 蓉子さんはさっと頬を赤く染め、私から顔を背けた。
(…えーと…)
 なんだろう、いまの反応は。
 頬を掻きながら、蓉子さんの横顔を見る。
 髪が邪魔をして表情はわからないけど、ちらりと見えた耳が赤かった。
 …これは、いったい…どういうこと?
 私は首を捻った。

「水野さん、この問題、答えてみて」
 先生の声に、私のほうが慌ててしまった。
 ぱっと前を向き、ノートに向かうふりをする。
 けれど、隣から聞こえるはずの彼女の声は、一向にしなかった。
「…?」
 蓉子さんの反応がないことに、私と先生は、怪訝な顔で同時に蓉子さんを見る。

 蓉子さんはぼんやりとした様子で、じっと手元を見つめていた。
 先生がもう一度、蓉子さんに呼びかける。
「水野さん、…水野さん?」
 三回目にしてようやく、蓉子さんが顔を上げた。
「はい…なんでしょう」
 先生は訝しげにしながらも、黒板を指差す。
「ここの問題、答えてくれる?」
 蓉子さんは立ち上がり、数秒問題を見つめてから、「わかりません」と目を伏せた。

 教室にざわめきが広がる。
 蓉子さんが今まで、先生に指されて答えられなかったことはなかったからだ。
 私もまた、不思議に思って蓉子さんを見つめた。
 レベルはそう高くない。…と思う。私はぜんぜんわからないけど。
 先生は不思議そうに首を傾げて、けれどすぐに授業に戻った。

 蓉子さんは静かに着席する。
 私は先生がこっちを見ていないことを確認して、蓉子さんに話しかけた。
「どうしたの、蓉子さん」
「えっ…?」
 蓉子さんは顔を上げると、先生のほうを一瞥して、私に微笑む。
「べつに、どうもしないわ…」
「でも、蓉子さんが答えられないなんて、今までなかったでしょ?」
 蓉子さんが苦笑した。
「私だって、わからないことはあるわよ」
 そりゃそうだけど。

 腑に落ちないとはこのことだ。
「ねえ、もしかして私のせい?」
「…え?」
「さっき目が合ったとき、なんか様子が変だったから」
「あ――――」
 蓉子さんはふっと口を噤むと、困ったように笑った。
「なんでもないわ。さんのせいじゃないから」
「…でも…」
 どうも自分のせいのような気がして、私は食い下がる。

 蓉子さんはそんな私を見つめて、一瞬、躊躇するように視線をさまよわせると、一言、こう言った。

「私ね、あなたの隣になれて、よかったわ」

 なぜそんなことをいま言うのか。
 それがさっきのおかしな様子とどう関わるのか。
 私が訪ね返す前に、蓉子さんはいつもどおりの蓉子さんの顔で、授業に戻ってしまった。

 その言葉の意味を理解するのは、普通の勉強より難しかった。



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up data 04/8/18