雨が降る



「まだ、諦めきれないんだね」
 私の言葉に、静は微笑とともに頷きを返した。

 外は雨。
 冬の寒さに加え、この雨では、暖房がついていない音楽室は、寒すぎる。
 それでも、私たちはここにじっとしていた。

「帰らないの、?」
「静こそ」
「私はもう少し」
「じゃあ、私も」

 静は微笑み、それ以上は何も言わなかった。
 静はいつだってそうだった。
 何も言わない。
 何も言わず、あの人を見つめていた。
 あの人が笑っているときも、そうでなかったときも、静は黙って見つめていた。ただ想いつづけていた。今もそうだ。そしておそらく、これからも。

 私は目を伏せて、小さく笑った。
「まだ、諦めきれないんだね」
 さっきと同じことを、繰り返す。
「いまも、好きなんだね」
 静は答えない。
 私は目を閉じた。
 静ほど綺麗じゃない微笑を浮かべながら。
「大切なんだね」
 たとえそれが、片想いで終わる恋だとしても。

 雨が降る。
 そういえば、静が前に言っていた。
 雨が降ると、あの人が決まって哀しそうにしていると。
 私は空を見上げた。
 雨、もっと降れ。

、」
 振り向くと、静も窓の外を見上げていた。
「長い間、ありがとう」
「…そーゆう、お別れみたいな言い方、好きじゃない」
「…そうね」
 そうね、と言ったけれど、静は訂正しなかった。
 お別れ。
 いたずら好きな静の、リリアンでの最後のいたずらが終わったら。
 二年の冬が明けたら。
 お別れ、なんだ。

「静、私たち、何年だっけ」
「…中等部からだから、もうすぐ五年かしら」
「五年かぁ…案外、短いね」
「そうね、もっと長く一緒にいたような気がする」
「うそ。静が追い駆けてたのは、いつだってあの人だったでしょ」
 今もそうでしょう。

 そう言うと、静は何も言わず、微笑んだ。
 最近、静の微笑みばかり見ている気がする。
 突然泣きそうになって、私はわざと声を明るくした。
「でも早かったねー。そういえば覚えてる? 静と初めて逢ったときのこと」
「ああ、あれね。あれは可笑しかったわ」
「私が先に声かけたんだよね」
「覚えているわ。ねえ、彼女、お茶しない?=cでしょ」
「ちがいますー。ヘイ、カノジョ、お茶でもどう?≠セよ」
「そうだった?」
「そうでした。ひっどー、忘れてる。あんなインパクトある出会いは絶対忘れないと思ってたのに」
 口を尖らせて拗ねてみせると、静は可笑しそうに声をあげて笑った。

 やっと、微笑み以外を見られた。
 私は内心、ほっとした。
「もしかしてわざとだったの?」
「ん? なにが?」
「ナンパみたいな声のかけかた。私に覚えていてほしかったから?」
「うっわ、自意識カジョー」
「でも今の言い方そうじゃない? ひとめぼれ?」
「やだやだ、美人はこれだから」

 ふーやれやれ、なんて肩を竦めてため息をつきながら、私は息が止まりそうだった。
 今すぐにでも泣き出してしまいたかった。

「あれ、そういえば、静。今日、例の選挙のことで作戦会議だったよね?」
「え? もうそんな時間?」
「ほらほら、行った行った。主役が不在で会議なんてできないでしょ」
 腕時計を見ようとする静の背中を押して、私は必死で笑いかけた。
「私はもう少しここで、雨見てるよ」
は来てくれないの? 私の応援」
「私が応援しなくても、静には味方がたくさんいるでしょー」
 ひらひらと手を振って、私はさっさと行け≠ニ心の中で呟いた。
 これ以上、一緒にはいられなかった。

 静は音楽室の扉の前で、一瞬立ち止まった。
「? どうしたの?」
 首を傾げる私に、静は振り返らずに言った。
、最近私に微笑んでばっかりね」
 その言葉に、私は目を見開いた。

 何を言ってるの。
 微笑んでばかりなのはそっちでしょ。

 そう思うのに、なぜか呆然としてしまった。
 それが図星であるかのように、心は動揺して。

「そんなことされたら、本当に最後みたいに思えてくるじゃない」
「――――…」
 静は肩越しに振り返り、少しだけ眉を下げて笑った。
は親友よ。いつだって、私の恋を笑わずに聞いてくれた」
「……」
「ごきげんよう」


 静が出て行ったあとも、私は立ち尽くしていた。
 残像がよぎる。
 長い髪を、ばっさり切った静の後姿が。

 ゆっくりと、窓を見る。
 雨が降る。
 いつまでも、いつまでも、あの人を哀しませる雨が降る。
 静を哀しませる雨が降る。
 もっと降っていろ。できるなら永遠に。
 本気で祈った。

 窓に、私の顔が映っていることに気づいた。
「…まだ、諦めきれないんだね」
 ガラスに映った自分に向かって、微笑する。
 静の言っていた、最後のような微笑み。
「いまも、好きなんだね」
 違う。
 最後のような#笑みじゃない。
 これは、
「大切なんだね」
 ――――終わってしまった#笑み。



 いっそ静のように、潔く散ってしまえたら。



 雨が降る。
 私を哀しませる雨が降る。



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up data 04/7/15
マリア様好きに50のお題「28:雨」
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