死して灰



 死にゆく太陽の断末魔のように、あなたの悲鳴も赤くアカく、静寂を切り裂き天上をも染め上げるのでしょう。
 もしもあの雲の上に神が棲んでいたなら、あなたの悲鳴は神の耳に届くでしょうか。そのとき神々はどう応えるのでしょう。それとも、今と同じ沈黙を守り、あなたの悲鳴もその中に封じ込められるのでしょうか。

 たとえそうなろうとも、わたしだけはあなたの悲鳴を聞き届けましょう。
 あなたの悲鳴を。あなたの声を。あなたの言葉を。あなたの慟哭を。わたしだけは受け止めましょう。だからどうぞ、安心して泣きなさい。その涙がわたしを溺れ死なせようと、わたしはあなたのすべてを受け止めるから。
 だから。

 古びた温室に沈みかけた太陽の色が染みこむ。土も葉も花もその色に染められ、世界は朱色の光りに満たされていた。
 はそこに足を踏み入れ、探していた目当ての人物を見つけ、近寄る。努めて静かに歩み寄るが、一人分、空間が埋められただけで、静寂が揺れた。

 が隣に座ると、先客の黒髪の頭が小さく揺れる。紅薔薇さまと呼ばれ、校内ではいちばん頼りにされ、自らもそうあろうと努力している彼女が今は、まるで幼い少女のように膝を抱え、顔をうずめている。
 は一瞬呼びかけようかと迷ったが、結局口をつぐんだ。ふと、蓉子の顔が僅かに上げられ、そのあいだから覗いた目がを見上げる。目が合い、は安心させるようにほほえんだ。

 目が再び黒髪に隠される。水野蓉子を取り巻く空気は、頑なに外部を拒んでいた。横目でそれを見やったは、唇をきゅっと引き結び、虚空を見上げる。睨むような視線が宙を射抜く。そこに哀しみの色が浮かんだことに、隣にうずくまるひとも、その色の主さえも気づかなかった。それほどに、微かな。

 はふいに、視線をおろした。隣から動く気配がしたからだ。蓉子は顔を上げ、を見た。
「ありがとう」
 引き攣った微笑から、は目を逸らす。
「なにが?」
「いつも、待っていてくれるでしょう?」
「べつに。暇なだけだよ」
 少しだけ笑うと、蓉子も僅かに息を漏らし、笑った。

「隣に誰かがいてくれることが、こんなに支えになるなんて知らなかったわ」
「邪魔じゃない、の?」
「もちろんよ。いつも助けられているわ」
「ふぅん」
 は足元に目を落とすと、沈黙した。蓉子も口を閉じる。静けさが、ふたたび辺りに戻ってきた。

 が虚空を見上げる。その目が焼けた空を映した。
「夕陽が、」蓉子がを見る。「夕陽が焼くのは、空だけじゃなくて、きっと」
 きっと、と繰り返し、一瞬間が空く。言葉を探すように、視線が宙をさまよう。口元が微かに動いていた。声にするのをためらっているというよりは、声にすべき言葉が見つからないようだった。

 きっと、と三度目の繰り返しのあと、ようやく続きが紡がれた。
「ひとの心、も、焼くんだと、…思う」
 とつとつと、喋る。なにがそこまで言葉をつかえさせるのか、蓉子にはわからなかった。ただそれは、にとってひどく重いものだということだけを感じた。

「ひとの心を焼く…夕陽」
 蓉子が反芻するように呟く。は僅かなあいだ瞑目した。
「わたしだけかもしれないけど。夕陽を見ているとね、この辺が、」
 右手の指先で心臓の辺りに触れる。
「焼けつくような感じが、して」
 じりじりと、焦がされるような。痛みなのか、熱なのかもわからない、そういう感覚が沸いてきて、ひどく恐ろしくなるのだとは告げた。
 蓉子はどう応えていいのかわからず、を見つめる。は目を伏せると、しばらくしてまた口を開いた。

「蓉子さん、は。蓉子さんの声は、届くから。泣いている、声が」
 この耳に。この胸に。焦がすような痛みを伴って。
「誰にも聴こえなくても」
 彼のひとに聴こえなくても。
「わたしだけには、なんでか、届くから」
 だから、と続けて、は温室に来てから初めて、蓉子をまっすぐに見つめた。
「だから、蓉子さんは安心して、泣いていい、よ」

 焼けつくような痛みが、胸を焦がす。すべてを焼き尽くそうとする、凶暴ですらある願いが自分を侵す。
 絡み付く、縋るような両腕を、悲鳴を、涙を、掬い取るように抱きしめて、その熱に心までも焼かれても。
 それでも。

「泣いていい」

 黒い双眸から溢れ落ちる涙を、はじっと見つめていた。
 心に痛みが。熱が、走る。焼かれるような感覚。じりじりと、自分を焦がすその熱の名を、は知らない。
 ただそれが、いつか自分のすべてを焼き尽くし、自分は灰となり死んでしまうのだろうとは、確信していた。



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up data 05/6/30