今はただ、



「しーずか!」
 ひょい、と覗き込むと、静は驚いたように目を丸くした。
、どうしたの?」
「それはこっちのセリフ」
 ぺしっ、と静の額を軽くはたいて、隣に腰を下ろす。

「珍しいね、静が屋上なんて」
 いつもは音楽室なのに、と付け足して、購買部で買ってきた紙パックのジュースを手渡す。
 静がくす、と笑った。
「そんなにいつもじゃないわよ」
「そーお? 私が探すときって、だいたい音楽室で見つかるんだけど」
「そう?」
「そう!」

 力強く頷いて、紙パックにストローを差し込む。
「にしても、結構ひと少ないねー」
「えぇ、そうね。意外に」
 私は一口ジュースを飲むと、横目で静を見やった。
「で?」
「うん?」
「やけにすがすがしい顔してるね。選挙負けたのに」
 言いながら、でも指していたのは別のことだった。
 静もそれに気づいたのか、ふっと微笑した。

「そうね。でも、なんとなくこうなることはわかっていたわ」
「ふーん。…満足?」
「えぇ」
「そりゃよかった」

 応援していたクラスメイトのみんなは、落胆する者もいれば、笑っている者もいた。
 思ったよりも白熱して、楽しかった。これはきっと、みんなの一生の思い出になるだろう。
 静がやりたかったことのひとつが成就したことに、私も満足していた。


「ん?」
「ありがとう」
「…なに、急に」

 いきなり真面目にお礼を言われたものだから、私は照れくさくなって目を逸らした。
 静がくすくすと笑っている。
 それがとても楽しげで、私もつられて目を細めた。

にも、ずいぶんお世話になったから」
「んー? それ言ったら、私のほうこそ、お礼言うべきじゃない?」
「そうなの?」
「うん。私も案外、静にいろいろ面倒かけたからね」
「…覚えないわね」
「そんなこと言ったら、私だって静をお世話した覚えないんですけど」

 半眼で言って、でもすぐに笑った。
 静も小さく噴き出す。
 妙に楽しい気分だった。選挙の名残かもしれない。
 私が「楽しい」と口にすると、「私も」と返ってきた。

「ねぇ静」
「なに?」
「歌って」

 私の突然のお願いに、静は軽く目を見開く。
「どうしたの、急に」
「聞き納め」
「…
 苦笑、のような表情で、静が言った。
「まだ先の話でしょう?」
「すぐだよ」
「……、そうね」

 私の目をしばらく見つめて、静はふいに微笑む。
「わかったわ。なにか、リクエストある?」
「静にお任せしまーす」
「はいはい」
 静は立ち上がって、空を仰いだ。
 少しのあいだ、薄っすらとかかっている雲を見つめ、それから、姿勢を正した。

 すぅ、と開いた静の口から零れてきたのは、意外にもマリア様のこころ≠セった。
 懐かしさといっしょに、言葉にできない気持ちがこみ上げてきた。
 こういうのを、切ない、と言うんだろうか。
 そんなことを思いながら、私は目を瞑り、静の歌に耳を傾けた。

 きれいな声。
 これが遠くに離れていってしまうんだ。
 それは少しだけ寂しくて、でもなぜか嬉しい。
 静の旅立ちを喜んでいる自分を発見して、私は口元を緩めた。

 歌声がやむ。
 私は立ち上がって、振り返る静に拍手を贈った。
「ほんと、いい声だよね」
「ありがとう」
 静の微笑から、空へと目を移す。
 しあわせなような、切ないような気持ちで、大きく息を吸い込んだ。



「好きです」と、伝えるのはあとにしよう。
今はただ、傍に居たい。



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up data 05/1/26