やくそく



 待ち合わせ場所を、駅前にしなければよかった。
 もう数え切れないくらい確認した時計に目をやり、心の中で舌打ちした。
 さっき見てから、一分も経っていない。
 電車の音が次第に遠くなっていく音。そして、近づいてくる音。
 耳慣れたはずのその音が、ひどく心をかき乱す。

 もう一度、時計を見やる。
 腕時計は持たないから、駅前に設置された大きな時計を見ることになる。
 やけに進みが遅いように感じるのは、私の気のせいだ。
 わかってはいても、苛立つ。

(10分、オーバー)
 針は約束の時間をとうに過ぎている。
 私はベンチに座ることもせず、ひとの邪魔にならない隅で、壁に寄りかかって、彼女を待っていた。

 また、電車が来た。
 しばらくして、ひとの波が改札口から吐き出されるように、押し寄せてくる。
 じっと目を凝らし、彼女を探す。いない。
、)
 じわじわと焦りが増していく。
 何度も待ち人の名前を、心の中で呼んだ。

――、お願い、早く来て。

 はっとする。
 これは、祈り?
 違う。祈りなんかじゃない。
 祈る相手なんかいない。

 私は今度こそほんとうに、舌打ちした。
 思考がおかしい。相当焦っているらしい。
 これも全部、のせいだ。が早く来ないから。
 来たらぜったい文句を言ってやろう。
 ぜったいだ。だから早く来て。

 ふと、視界にちらちらと白いものがよぎりはじめた。
「雪だ」
 誰かが言った。それでようやく、雪が降っていることに気づいた。
 ああ。
(もう、冗談じゃない)
 こんな、こんな笑えない冗談があるものか。
 私は睨むように空を見上げた。

「すごい、ホワイトクリスマスね」
「へぇー、そういえば、去年も同じ頃に降ったよな」
 会話が聞こえる。耳をふさぎたかった。
 もうやめて。、早く。

 目の奥がじんと熱くなり、私はとっさに目を瞑った。
 向こうでまた、電車が過ぎる音がする。
 心臓が冷たい音を立てて、鳴いている。
 私はひたすら、の名前を呼んでいた。

、)

 思わず口に出してしまったその声は、一瞬で空気に溶けて消えた。
 私はきつく唇を噛んだ。
 そのとき。

 肩を、叩かれた。

「―――ッ」
「! あ、あの?」
 ふしぎそうに覗き込んできたのは、見覚えのない人だった。
「すみません、――行きへは、どのバスですか?」
 私の様子が普通でないことを感じたのか、その人はおそるおそる、という雰囲気だった。
 私は簡潔に答え、顔を背けた。

 足元に目を落とす。雪が薄っすらと積もりはじめていた。
 肩を叩かれた瞬間に、脳裏を掠めたあの人の顔を思い出し、歯を噛み締める。
 ポケットに突っ込んだ両手を、爪が食い込むほど強く握った。
 電車の音が近づいてくる。止まる。しばらくして、ひとの波が押し寄せる。
 私はもう探すこともできず、そのまま足元を見つめていた。

 ひとの足音が怒涛のように行き過ぎて、次第にまばらになってくる。
 もしが来なかったら、一晩中ここに居て、凍死してしまおうか。
 ひどくばかな考えを思って、私は嘲笑った。
「聖ッ」
 口端を吊り上げた瞬間、聞き慣れた声を耳にし、私は弾かれるように顔を上げた。

 小走りに駆け寄ってくるのは、確かに、私の待ち人。
 待ちに待った、彼女だった。
!」
 思わず叫んで、走り出す。
 驚いて足を緩めたを、けれど構わず、私は抱きしめた。

 力いっぱい、その存在を確認する。
「ちょ、せい…くるしっ」
 顔をしかめるを、私は無視した。
「せっ、ぃ、…聖!」
「遅刻した罰」
 ひとの視線が集まっていることは、重々承知の上。
 私をこんなに待たせたのだから、これくらい当然だ。

 はしばし抵抗の末、とうとう観念して、大人しくなった。
 少し顔をずらし、私を見た――と思う。思い切り抱きしめているため、見えないけど。
「聖、遅れてごめんね。あのさ、」
「言い訳はいい。いらない」
 きっぱり言うと、はそれ以上なにも言わなかった。

 雪が勢いを増していく。
 私はの耳元で、言った。
「私、待つの嫌いなんだから」
 が息を詰まらせ、身を硬くした。
 雪の白が視界にちらつく。

 どれくらいそうしていたか。
 ふいに、の腕が私の背を抱いた。
「これからは、しないから」
 その言葉に、私は長い長いため息をつく。
 頬に触れた雪が、水滴となって落ちていった。



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up data 04/12/25