消せないもの ようやく寝入った聖を見やり、は息をついた。 聖からメールが入ったのが今朝、が徹夜でレポートを書き上げ、さあ寝ようとしていたときだった。 至福のひと時を邪魔されたことに不機嫌にはなったものの、病人をひとり放っておくことはできない。 は財布と携帯だけを持ってスクーターで聖のもとへ駆けつけた。 しかしいざ来てみれば、聖はやたらうれしそうにを迎えたのだから、ため息もつきたくなるもの。一応風邪というのはほんとうだったようで、その後すぐに熱があがり、会話もできない状態になってしまったが。 は熱のせいで若干乱れた寝息を聞きながら、聖の汗の滲んだ額に手を当てる。 そのまま色素の薄い髪を梳いて、頬を撫でると、聖の表情がかすかにやわらいだ。 (ちょっと熱上がってきたな…) は嘆息して、部屋を見回した。 聖の部屋は雑然としている。物はすくないのに、なぜか散らかって見えるのだ。片づけたい衝動に駆られたものの、意外に神経質な聖のこと。自分の物を勝手に触られるのは不快だろうと、はその衝動を抑え込んだ。 同時に、ちくりと胸を棘が刺す。 聖との付き合いは約半年。が大学に入り、その後の交友関係から彼女と知り合ったのだ。 それがきっかけで(なにがそんなに気に入ったのか知らないが)、聖はことあるごとににちょっかいを出すようになり、よくわからないうちにの家に入り浸るようにまでなった。 けれど。 聖は会ったときから感じていたとおり、自分のテリトリーにはけしてを入れようとしない。 ある一定の距離を保って、を遠ざける。 まるで平行線だ。こちらが歩み寄れば向こうは下がり、そのくせ離れようとはしない。 変わらない距離、変わらない関係に、は近頃苛立ちさえ感じるようになっていた。 なぜ苛立つのかは、わからないまま。 聖が寝返りを打った気配で、はわれに返った。 ベッドのほうを見やると、聖はに背を向ける形で眠っている。 は嘆息して、腰を上げた。 □□□ が扉を開けると、なかはが出かけたときとおなじように、しんとしていた。 片手に持った袋が持ち直した拍子にがさりと音を立てる。中身は市販の風邪薬。探しても見つからなかったので買って来たのだ。 玄関で靴を脱いだとき、ふと、そういえば聖の両親はどうしたのだろう、と気になったが、いまさらだし自分が訊いてもしかたのないことだと思いなおし、はそのまま2階の聖の部屋へ直行した。 一応ノックをしてからノブを回す。 どうせ聖は寝ているだろうと思っていたは、突然部屋から飛び出してきた人影に、思わず仰け反った。 「!! な…はっ? 佐藤さ―――うわっ!?」 抱きつくというよりは体当たりというにふさわしいいきおいでぶつかってきた聖に、に聖を支えるのはもとより無理な話だが)、うしろに倒れこんだ。 いきおい余って床に頭をぶつけてうめいたの胸に顔をうずめる。 「…!」 「え? は? や、ちょっ…どうしたの?」 これが異性であれば大問題の構図だが、聖の切迫した様子には文句を言う気も起きず、しかたなく聖の頭を撫ではじめた。 「怖い夢でも見た?」 自分でもおどろくほどやわらかい声が出て、は内心苦笑した。 聖は動かない。ただ抱きしめる力を強めただけで、なにも言わない。 もそれ以上うながすことなく、黙って聖を受け入れた。 ひとは身体が弱るとこころまで弱るものだが、聖がそれだけではないことに、は気づいた。 ときおり浮かべる、痛みを必死で堪えるような表情。 だれかと笑っているとき、ふざけ合っているとき、ふとした拍子に聖はそれを見せる。 たぶんそれが、軽薄な態度に隠した、聖の素顔なのではないか。 それに気づいたとき、はうずくような痛みを感じた。 理由とか、原因とか、過去とか、訊いたところで答えてもらえるものではないだろうし、訊いてほしくないこともあるだろう。 いや、ちがう。 そこまで思って、は否定した。 訊きたくないのだ、きっと。 訊けば、自分にはどうしようもないことを思い知らされてしまうから。 聖の内側にはけっして入り込めないという事実を、突きつけられてしまうから。 それが、怖いのだ。 は聖に気づかれないように、笑った。自身をあざけるように。 胸が、痛い。さみしいとも悲しいともちがう、これは、せつなさ≠セ。 そしてそれを感じる理由も、同時にわかった。 「―――」 目の奥が熱くなって、思わずまぶたを閉じる。 こぼれそうになったそれを飲み込み、代わりに今日何度目かわからない、深いため息をついた。 やるせない思いをいっぱいに詰め込んだそれは、吐き出してもけして消えることはなかった。 |