特別でないただの一日、でない一日 9「いないよ、そんな人」 幼稚舎から出ると、私は冷たい空気をゆっくりと吸い込んだ。 吐き出す。 「今日は、ありがとうございました」 隣を歩いていた静さんが、私の前に回りこむと、丁寧にお辞儀をした。 「いいよ、私もけっこう楽しかったし」 子どもの喜ぶ姿は、見ていてしあわせな気持ちになれる。 なんだか楽しい気分になって、空を見上げる。 真っ暗だ。 「あーあ。これで晴れていたら、星が見えたのにね」 「そうですね。でも、これだけ寒いなら、今夜ごろ、雪でも降るんじゃないでしょうか」 「雪かぁ…それもいいね」 私、雪好きだなぁ、なんて呟くように言ったら、静さんは私を振り向き、言った。 「それじゃあ、降るまで待ってみましょうか」 「はい?」 突拍子もない誘いに、私は間抜けな返事をしてしまう。 「待つって、こんな寒い中で?」 「嫌ですか?」 「私は平気だけど…」 静さんは寒くないかな、と、彼女の顔を覗き込む。 私の心配が伝わったのか、静さんはやさしく微笑んだ。 「さまと一緒なら、どこでも平気です」 「……」 なんか、すっごく可愛いこと言われてしまったような…。 私は照れてしまい、それ以上、なにも言えなくなってしまった。 くすくすと、静さんがいたずらっぽく、それでいて可笑しそうに笑う。 なんだか悔しくなって、静さんの手を力いっぱい引き寄せた。 「あっ…!?」 「えいっ」 驚く彼女に構わず、その身体を両腕で捕まえる。 まあ、その、いわゆる…抱きしめる、というヤツで。 っていうか、自分でやったことになんで照れるんだ私。情けないぞ。 静さんに顔を見られたらまた笑われる。 私は彼女の肩口に顔をうずめ、赤くなった(と思われる)顔を隠した。 しばらくのあいだ、そのまま動かないでいると、静さんの手が、私の背に回される。 そっと、それでいて力強く抱きしめ返され、私はますます彼女を解放するわけにはいかなくなった。 あー、なんかものすごく恥ずかしいことしてるなぁ。 これからどうしよう、なんて考えていると、耳元で、静さんの澄んだ声がささやいた。 「さま、暖かいですね」 「…静さんこそ」 「……ほんとうは、」 ほんとうは、と静さんは言った。 「誘おうかどうか、迷ったんです」 「え?」 「でも…今年が、たぶん、最後のチャンスでしたから」 「……」 留学のことを、言っているのだと思う。 私には、私だけには話してくれた、例の選挙のこと。 選挙で落ちれば、静さんは予定通り、留学することになる。 勝ち目は、五分五分。でも、どこかで予感していた。 彼女は今年でいなくなる。この日本から。 「留学したら、なかなか会えなくなります。だからその前に、ひとつでも思い出を作っておきたいと、思ったんです」 「…そか。うん、…うん」 「ありがとうございます、さま。私、いますごく…しあわせです」 「―――うん」 閉じた瞼から零れ落ちた、一粒の涙は、たぶん、哀しさではないと思った。 |