特別でないただの一日、でない一日 3



 蓉子、と聖さんと江利子さんが同時に言った。
 蓉子さんは呆れ顔で、私たちのほうへ歩いてくる。
「まったく、騒がしいかと思えば、あなたたち、廊下の真ん中でなにしているのよ」
「あ、ごめん、蓉子さん」
 私がとっさに謝ると、蓉子さんがはっとして私に振り向く。
「いえ、さんが悪いんじゃないでしょう。どうせ、この二人がまたなにか迷惑をかけたんじゃない?」
「あー…あはは」
 あながち間違っていないだけに、笑うしかない。

「なによー。私はべつにさん困らせてないもーん」
「自覚がないだけ厄介ね」
 ため息混じりの蓉子さんのセリフに、ふっと聖さんが真顔になった。
「自覚があってなおやってるほうが、性質悪いと思うけど」
「…たしかに」
 蓉子さんが深い頷きを返した。
 なに、この空気。そして江利子さんはなにを含み笑いしてるの?

「それで、あなたはなにをしに来たのかしら? 紅薔薇さま」
 突然、江利子さんがわざとらしい口ぶりで訊ねた。
 蓉子さんが江利子さんを見やり、にっこり笑う。紅薔薇さまの顔だ。
「私は、あなたたちがこんなところで、騒がしくしているから止めに来ただけよ。それで、お二人ともいったいなにをなさっていたのかしら?」
 うう、すごいオーラが。

「これからのさんのご予定を訊いていたのよ。もしお暇なら、ぜひ私に付き合ってくださらないかしら?」
「え、あ、ぅ…」
 いつもとまったく違うノリの聖さんに、私は困惑して言葉に詰まる。
 そこへすかさず江利子さんが割り込んできた。
「私も、さんを自宅へ招待しようと思っていたところなの。家にはだれもいないし、さんが来てくだされば、とても嬉しいわ」
 え、江利子さーん! あなたぜったい面白がってるー!
 っていうか目がすっごい楽しそうだ。
 二人とも、私をいじめてそんなに楽しいのか…!

 私は助けを求めるように、蓉子さんを見る。
 すると、蓉子さんは顔を僅かに伏せて、なにかを考えているようだった。
「蓉子さん?」
 呼ぶと、蓉子さんがはっと顔を上げる。
「え、えぇ…なに?」
 あ、薔薇さまオーラがない。
 そのことに安堵しながら、私は訊ねた。
「どうしたの、なにか考えてたようだけど」
「いえ…なんでもないわ。それで、さんはどうするつもりなの?」
「やー、まだ決めてないけど」
「…そう…」

 どこかほっとした表情の蓉子さん。
 あ。なんか、蓉子さんの次のセリフが予想できちゃったぞ。
「それじゃあさん、もしよければ、」
 ほぉーらね。
「私と、映画に行かない?」
「映画?」
 蓉子さんに見せてもらったペアチケットは、このあいだ私が見たいと言っていたものだった。

「これ、どうしたの?」
「えっ? あ、えっと…知り合いにもらって、一緒に行く人がいなかったから」
「「ふぅーん」」
 横で見ていた二人が、なにか言いたげに目を細める。
 蓉子さんはちら、と目を逸らすし、どうやらこの三人だけで通じるなにかがあるらしい。

「映画かぁ」
 ちょっと気持ちが傾くなぁ。
 私が考えていると、聖さんが私の肩を抱き寄せた。
「わっ!」
さん、私とは一緒に居たくない?」
 な、なにいきなり。
「そういうわけじゃないけど…」
 っていうかその顔を近づけないで。
 神々しすぎてどうしていいのかわからなくなるから。

「じゃあ、私と―――ぐぇ!」
 ぐぇ?
 見ると、後ろから江利子さんが首根っこを引っつかんで、聖さんを引き剥がしていた。
 江利子さん、そんな乱暴なことは…ああ、でももうなんか口出しする気にもならない。
「なにするのよ、江利子っ」
「べつに。私はただ、セクハラをするどこかのだれかさんを止めただけよ」
「…どういう意味よ」
「さあ? そのうち痴漢で捕まらなければいいけどね」
「なにそれ」

 なんかもう険悪な雰囲気に慣れてしまった。
 私は両目を片手で覆って、深く息をついた。
 ああ、どうしよう、これ。

「あなたたち、いい加減にしなさい」
 蓉子さん、あなただけが頼りだよ。
 止めに入った蓉子さんに、江利子さんと聖さんが同時に振り向いた。
「じゃあ蓉子が諦めて」
「なっ、なんでそうなるのよ」
「あら? どうせ、チケットが余ったから誘ったんでしょう? じゃあさんじゃなくてもいいんじゃない?」
「そ、それは…」
「蓉子、性格が祟ったわね」
「なっ…」

 あ、なんか形勢不利。
 もうどうしようもないなぁ、これじゃあ。
 蓉子さんになんとかできないなら、私には無理だし。
 しょうがない、ここはひとつ。

「ついでに聖、あなたも諦めなさい」
「なんでよ、っていうか先に誘ったのは私だよ」
「待ちなさい二人とも、私がいつ諦めるって言ったのよ」

 逃げよう。



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up data 04/12/24